阪神淡路大震災から27年経ちました | 神様の後押しをいただいて幸せを引き寄せる

神様の後押しをいただいて幸せを引き寄せる

各地の神社仏閣を参拝しているうちに自然信仰に興味を持ち「古神道」「産土信仰」を学ぶ。大事故に遭った時、無傷で済んだ事をきっかけに、ますます産土さま、見えない存在に守られている事を実感!産土さまと皆さまとの御縁をお繋ぎさせていただくことが私の幸せです

今日は1月17日

 

27年前の1月17日早朝に阪神淡路大震災が起きました

 

今までほとんど阪神・淡路大震災についてあまり発信したことはありません

 

何故なら、最初の頃は「思い出したくない」

 

そして

 

「何を言ってもあの時の事は伝わらない」と感じるからでした

 

 

 

北日本大震災が起きて以降は「思い出したくない」が強くなりましたが。。。

 

 

 

 

先日1月13日に政府の地震調査委員会は南海トラフ巨大地震の40年以内の発生確率は

 

前年の「80~90%」から「90%」程度と最大10%程度評価が上がったと公表しました

 

一昨日の南太平洋・トンガの火山島で発生した大規模な噴火は今まで経験したことがない事で

 

当初「心配ない」と発表されていた津波被害が一転し深夜に津波警報が出る事態になりました

 

コロナ禍もそうですが、「人間の英知をもってしても想定できない」のが自然災害や新しいウィルスです

 

 

 

 

 

そこで今日は阪神淡路大震災の時の事、感じた事を書きます

 

 

 

1995年1月17日の早朝、まだ就寝中に突然強烈に突き上げるような「ドンっ」という衝撃

 

その瞬間、私は「ああ、死んでしまうんだ」と思いました

 

何が起こったかわからないのに、もうだめだと思う今まで経験したことのない音、衝撃でした

 

 

隣で寝ていた生後数か月の次男の上に兜の入ったガラスケースが落ちましたが

 

息子は布団に潜り込んで寝ていたために怪我はありませんでした

 

リビングでは水槽やテレビが床に落ち、食器棚が開き食器が割れ散らかり足の踏み場もない状況

 

 

 

家族4人、毛布を体の上から掛けて外に出ました

 

道路はアスファルトが波打ち、橋には大きな段差ができています

 

避難しようとした小学校に着くとガス臭く、向こうの方に火の手があがっているのが見えました

 

「ここは危ないかも」と

 

実家に向かいましたが、実家に近づくにつれ倒壊している家屋が増え

 

それが道をふさいでいます

 

崩れ落ちた家の下敷きになっている車はクラクションが鳴り続けていました

 

昨日までの街並みがこうなるとは

 

呆然としながら歩きました

 

夜が明けて辺りが明るくなってきた頃に実家に着きましたが

 

2階建ての家は1階部分が潰れてへしゃげていました

 

冷静に両親の寝室があるところに行き何度も呼びました

 

すると、とても小さい声で返事がありました

 

「よかった」と思っても倒壊している家屋が多くて誰かが助けにきてくれる可能性はない

 

どの家も必死なのです

 

もちろんレスキューや消防車が来てくれるのは不可能



 

そうしていても余震が頻繁に起こり

 

私は息子を抱き何もできませんでした

 


 

両親は仏間のある部屋を寝室にしていました

 

地震で仏壇が落ち、その上に天井が落ち

 

仏壇と天井が作った僅かな空間が


両親が寝ていた場所でした


その部屋は上には2階がない1階の座敷の部屋(唯一倒れなかった部分です)のすぐ横だったため

 

人1人を引き出せる空間がありました


この状況で助かる場所はそこにしかなかった


そんな場所に両親は身動き取れずにいたのです

 


 

両親は土や誇りが鼻の中に入って苦しかったそうですが無傷でした

 

御先祖様が助けてくださったのだ!感じました

 

 

 

家族みんなで、避難地区の小学校へ向かいましたが

 

まるで野戦場のような怒号と悲鳴と慟哭が響き渡っており

 

この光景は今でも忘れる事ができません

 

たくさんの方が亡くなられました

 

 

 

時間を追うごとに小学校の体育館はビッシリと満員になりました

 

電気も水も何もない冬の寒い夜

 

静まり返った体育館が度々余震で揺れ、窓ガラスがガタガタ音を立てます

 

本震よりも余震の方が怖かった記憶があります

 

今のようにスマートフォンがなかった時代でしたので

 

すぐ近くで阪神高速が倒壊していた事はもちろん、他市や他の地域の被害状況も伝わってきていませんでした

 

それなのに

 

「○○市から窃盗団がこっちにむかっている」というデマだけが伝わってきました

 

実家は商売をしていましたが、倒壊した店からこぼれ出した商品やお金は

 

震災当日のうちになくなってしまったし

 

無事だった商店が、お菓子や飲み物を法外な値段で売り始めました

 

震災後1時間も経たずまだ倒壊した家の下敷きになっている町をビデオカメラで撮っている人

 

地震が見せつけた人の業もたくさん見ることになりました

 

 

しかし

 

そこにいる人が同じ境遇である事からくる連帯感というのでしょうか

 

声をかけあったり、情報を共有したり、助け合ったり

 

そうやって今できる事をして淡々と過ごす

 

今を生きることに必死な状態

 

 

私は「「紙おむつ」と「粉ミルク」と「お湯」をどうやって調達しよう?その事しか頭にありませんでした

 

不安もないのです

 

ただただ必死でそれを考えていました

 

 危機的な状況にあると


人は感情がストップするのでしょう




「これからどうなるのか?」等考えだすのは

 

少し落ち着いてからの事です

 

 

倒壊した実家を解体するのを見つめる両親の目も忘れられません

 

まだまだありますが、書き出したらきりがないのでここまでします

 

 

 

 

一瞬で命を奪い、家を奪い、仕事を奪う

 

地震や自然災害の脅威の前で人間は無力です

 

しかし、人間は強いものだとも感じました

 

喚き散らしたり、自暴自棄になったり、少なくとも私の見た限りではなかったですし

 

自分自身も不安よりも前を向いて出来る事に集中していました

 

共助の大切さも実感しました

 

 

 

 

自然の驚異の前では無力ですが

 

災害時の行動や避難場所を確認したり備蓄しておく事が

 

命を左右することになります

 

1/17はそれを確認する日にしています

 

 

 

 

そして地震後、復興した町に戻ってきた人たちで言い合ったのが

 

「悔いが無いように生きよう」

 

「今こうしている事が当たり前じゃなくて幸せなんだ」

 

先伸ばしや漠然とした生き方をしていると後悔することになります

 

 

 

最後にもう一つ

 

震災で「自分ではどうにもならない事がある」と知りました

 

震災を機に御先祖や神様をもっと深く考えるようになりました

 

 

 

震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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