2024年に入ってから

目まぐるしさばかりが加速して

小さなワクワクも見つけられなくなっている。


ワクワクってなんだっけ?

ときめくってなに?

もう多分、美味しいコーヒーを飲んで

はぁ幸せ、とその積み重ねで輝くのとは

違うところにいるんじゃないだろうか。


あれは自分に簡単に繋がるための手段であり

繋がりを太くする練習期間だったのではないか。

今でも白湯を飲みながら自分を落ち着けて

日常の隙間の瞑想時間、の様に

スイッチオフを使えるけれど

でも、これだけではない気がする。


どこに視点を当てるか、だ。

それだけの人生だと設定すれば

きっとそうもなるのだろう。

私はそれだけでは満足しないのだな。

日常の穏やかさを求め

ゆとりのある豊かな生活を夢見る反面

コツコツと積み重ねる事や

少ない時間での最大の効率のあげ方を

考え、悩み、手放せないでいる。

人が苦手と言いながら

繋がりのある子たちのサポートが

うまく成果を上げないと気落ちする。


周りにいる大抵の子たちは

いかに早くやり遂げる、もしくはやり終える事

というのが生きる指針になっていて

私の所に来ても心が開いていない。

その状態で欲しい言葉をあげる事も出来るし

ペラペラと今日の出来事を話すのを

流しながら聞くけれど

本当はそこには真実はない。

しかし真実に行き着ける様に

心を開かせるのには

教える時間を減らすという事。


結局私も能力や、表に現れる事象だけに

左右されている事になる。



あまりにも忙しくて

子供達に、親たちに労いの言葉もかけられない

これは、時間ではなくて

心が擦り減ってるからなのだ。



やはりコーヒー一杯から

やり直した方がいいのかもしれない。