光浦靖子さんの記事を読んだ。

 

 

留学する予定がストップしてしまい、さぞ悔しいことでしょう。

ここまで直前ではないけれど、経験があるのでわかる。

私は母親の病気によって阻まれた。

 

 

記事の中に「一つのことを追い、極めることが世間では素晴らしいとされています。」とある。

これは私が長年疑問を持っていること。

 

もちろん、一つのことを極めるのはすごいことだと思う。

 

 

私は高校、大学の進学時に、将来について父親に「会社に入らないでどうするんだ」と言われた。

その時「!?」という記号が、漫画のように大きく私の頭の中を占領した。

 

しばらく消えなかった。

 

「この人は、『会社に入る』こと以外、生きる道がないと思っているのか。」という父親に対する視界の狭さに、呆れた気持ちがどどーんと湧いた。

 

「それ以外の生きる方法がないかもしれない」という考えにはならなかったし、不安もなかった。

だって母親は会社に入っていないけど、手に職を持っていたし、会社以外で働いている人は世の中にいっぱいいるのが見えている。

 

 

父親は後に「やることをコロコロ変えていると、諦め癖がついて何も続かなくなる」ということも言っていた。

 

 

 

何十年も同じ会社で働いた父親は、それはそれで素晴らしいと思う。

だけど、どうなった?

夫婦仲は上手くいかず、家庭は崩壊。

それは仕事のせいではなく、父親の性格の問題が大部分を占めるけど、結局は何も得られていないじゃないかと、子どもとして思う。

 

 

 

そして、役者になってから大勢の人(主に同業者)に言われたこと。

「結局、何がしたいの?」

 

ミュージカルを専攻していたから、ダンスも歌も芝居もやるよね、そりゃ。

レッスンもしていたし、ダンスも歌も苦手意識が強かったから、できるだけ欠かさず練習していたし。

 

芝居なら芝居を極める、ダンスならダンス。

そういう考えの人がたくさんいたように思う。

 

私が未熟な役者だからそう言ったのかもしれないけど、「だったら芝居一本でやっていって、あなたの様になるんですか?」と思った。(その時は思わず、後に思った)

 

自分が尊敬しているわけでもない人から言われても・・・。

「あなたみたいになりたい!」って思っていたら、そりゃ響くでしょうけど。

 

 

今はそんなこと言う人はいないのかもしれないけど、ストレートプレイの舞台の時は大抵そう言う人がいたもんだ。

 

 

 

 

だけど、私は小さな頃から、人生でやりたいことの柱は2本だった。

1本は舞台役者。

もう1本は海外で暮らすこと(旅も含む)。

 

それが一緒にできたら最高だけど、意識としては別々の柱だった。

 

 

それを達成するために、必要なことをしてきた。

 

「やりたいことをやるためには、その3倍やりたくないこともやらなければいけない」という精神で。

本当にそうだった。

 

 

無神経な祖母に「やりたいことがやれていいね」と嫌味を言われたことがあったけど、

「その3倍やりたくないことをやってる」と言ったら、ぐうの音も出なかったことがあった。

爽快だった。

 

 

役者もしてきたし、海外で生活もした。

今は日本語教師が中心の生活をしているけど、海外で働くための手段だ。

日本語教師を選んだのは、役者の経験が役に立つから(大いに)。

そして海外で生活したことも、当たり前だけど役に立つ。

海外生活の経験者と未経験者では、教師として大きな経験の差があると思う。

もちろん未経験でもなんの問題もないが、自分ではそれは大きな武器だと思っている。

 

 

だから2本あった私の柱は、意外とつながっている。

それがわかるのは自分だけだと思う。

かなり濃密につながっている。

 

 

 

そして、その分野において、私は今かなり幸せだ。

コロナ禍でも、ありがたいことにそう思う。

むしろ、今までコツコツやってきたことが、今の私を救った気がする。

 

 

今後、どうなっていくかはわからないけど、それはどうなっていくかわからない世の中だから。

どうなっていくかわからないのが人生だから。

 

 

 

 

 

だからやりたいことをやる。そのための努力も必要。

やりたいことが一つなら、それを極めれば良い。

やりたいことがたくさんあるなら、全部やる努力をすれば良い。

 

 

 

今死んでも、後悔しないようにしたい。