もう半年くらい前になるけど、虹を見た。

きれいな弧を描いた半円の、ビックリするほど大きな虹だった。


うじうじうじ…と、もんもんもん…としていたけど、4つを見て、あ、なあんだ、なんやかんや思ったていたけど、これでよかったのか…と思った直後に見た虹だった。


あまりにも大きくて、きれいで、はっきりした虹だったので、思わず車を停め、写真を撮った。

普段、写真なんか撮らないんやけどねー。私のケイタイには、お友達からもらった画像と、ゴミステーションの、ゴミの日が記載された看板しか入っていないんだけどねー。


そして、母に、虹を見たことを話した。

めっちゃでかくて、めっちゃきれいな虹を見てん。


母は、虹の向こう側に行けたかと聞いてきた。

虹の向こう側に行けると、しあわせになれるらしい。そういう言い伝えがあるらしい。と言った。


へええええーーー。

そんな言い伝えがあるんだ。
昔々から、人は、知っていたんだ。
知らないけれど、知っていたんた。


虹が、しあわせの象徴というか、約束の証…ということを。

そして、桃源郷とか、シャングリラとか、絶対に安心の世界、絶対にしあわせで、絶対に平和な世界が、この世のどこかにあることを、知っているんだ。


その世界があることも、その世界への行き方も、知っているんだ。


そして、その世界、シャングリラには、世界安心で、絶対にしあわせな世界は、ミロスの実践で行けるんだ。










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ミロスで、すごいなあ…これはすごいよ…と思うもののひとつに、ノージャッジがある。


ノージャッジという概念。
ノージャッジという感覚。
ノージャッジという体験…。


ずーっとずーっと、外にいろいろ求めてきた。

真理に出会いたくて、求めて、求めて、外でいろいろ探してきた。


いろんな教えがあったし、いろんな人がいた。

その中には、いいなあ…と思うものも、いいなあ…と思う人も、いっぱいいた。


けれど、そのすべてにジャッジがあった。


あ、これは…って思う教え、思う人も、やっぱり、どうしても、ジャッジがあって、その目ですべてを見ていた。


周りはすべて鏡なんだよーとか、

自分を周りの人に映しているだけなんだよーとか、

良いものも悪いものも、周りに感じるのはすべて自分のことなんだよーとか、

他人はいないんだよ、全部、自分なんだよーとか、

全部、自分が創っている世界なんだよーとか、


そういうことを教えてくれるものもいあったし、人もいたけど、ジャッジのある世界では、そのあとに必ず『だから』がついた。


だから、自分が気をつけるんだよ、とか、

だから、自分は、いいところだけマネするんだよ、とか、

だから、こうしたらいいんだよ、とか……。


そうして、だから、だからと、自分を律して、自分を追い詰め、自分を苦しめた。



ノージャッジって、本当にすごい。


それは原理があって、真理があって、それを知るから体験できることだけれど……本当にノージャッジって、すごい。



まーったく、判断しない。
批評もなくて、批判もない。
良いと悪いの、どちらもがない。


原理を知り、実践をし、ノージャッジの世界を体験する。

その世界を体験すると、一気に力が抜けてしまう。


もう一気に、ビックリするくらいに、力が抜けてしまうんやけど、でも、その世界はとても力強く、パワフルだ。


ノージャッジの世界は、とても力強くて、パワフルだ。



私が今まで見てきた、いろいろな教え、いろいろな世界。

それと、ミロスの、決定的な違い。


それは、ジャッジがあるかないかということ。


ミロスの世界は、ノージャッジであるということ。










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愛という字は、心を受け取ると書くんだってー。


心を受け取る…。
心を受け入れる…。


相手の心を自分の中に、自分の中心に、受け取るんだ…。


だからなんだね。あ、わかってもらえた、あ、受け取ってもらえた…って思うときは、なんだか心があたたかーくなって、癒された感じがするのは…。


そんなことを感じながら、愛という字をじーっと見、その字を見ながら、受け取ってもらったときのことを思った。


もちろん、自分が自分を受け取ってるんだけど…けどけどけど、受け取ってもらったときの感覚を思った。


心を大切に、中心に、受け取ってもらったんだね。


大切に大切にしてもらったんだね。










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