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こんばんは、夫です。

 

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澁澤龍彦『マルジナリア』

(小学館、P+D BOOKS、2015年7月)

(底本:福武書店、1987年)を読みました。

 

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P+D BOOKSはB6判ペーパーバック書籍と電子書籍を同時に同価格で発売・配信する小学館の新シリーズで、作品のセレクトや装丁、紙質にノスタルジックな趣があります。

B6判というサイズとペーパーバックの軽さ・柔らかさが腕に負担なく、澁澤氏のうまい文章もあって筋肉的も知的にも読みやすい仕上がりになっています。

 

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本書は、一言でいえば「解題集」でしょうか。

マルジナリアというのは、書物の欄外の書き込み傍注のことですが、本書は氏の読まれてきた古今東西の文献に関する解題になっており、氏がどのように本を読まれてきたか、その一端が垣間見える気がします。

本書にはその他にも、氏と交友のあった作家あるいはギリシア・イタリアへ旅行に行かれたときについてのエッセーも含まれておりますが、それらもどこか文献的な薫りがします。

 

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本書で紹介される作家や文献のほとんどを私は知りませんが、知らなくても問題なく本書は楽しめます。

それは氏の教養と着目がすこぶる確かで、文章が巧いためでしょう。

 

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どれも非常に興味深い内容なのですが、法律に強い関心のある私には、氏の死刑に関する所見が大変印象に残りましたので、最後に紹介したいと思います。「ある死刑廃止論」からの抜粋です。

「見せしめとか応報とかいった見地から死刑を擁護する理論は、感情論としては根づよく生き残っているにせよ、すでに破産していると考えられるので、もしも死刑を存続せしめる根拠がどこかにあるとすれば、、それは宗教的な価値にしかないと私は思う。宗教的な価値とは、この世を超えた価値である。最終的には神の手にゆだねられるので、そういう見地から眺めれば、この世の刑罰は過渡的なものでしかなくなるだろう。裁判所の誤判も問題ではなくなるだろう。

 しかし私たちのげんに生きている民主主義社会、制度においても習俗においても完全に聖性を失っている社会では、死刑を存続させる根拠は、とうに見失われているのではない私は思う。

 法律によって恐怖と苦痛を行使しても、そこに聖性の光は一向にささず、こっそり行われる処刑はひたすら陰惨なものになるばかりだからである。」(159-160頁)

この文章は、次の文で締めくくられます。

「恐怖と苦痛が永久になくならない世界に生きている身だからこそ、サドはその小説のなかに、執拗に恐怖と苦痛を描き出したのではなかったろうか。ただ、それが人間の手をはなれて、抽象的な法律の手に掌握されるのを、サドはどうしても許すことができなかったようだ。

 おかしな言い方だが、私は恐怖と苦痛から目をはなさず、これを大事にしてゆきたいと思う、あくまで人間のものとして、人間の手でつかんでいたいと思う。」(161頁)

あまりに文学的で、あまりに人間的で、それゆえに根源的で、ちょっと感銘をうけました。

 

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