こんばんは、夫です。

私はよく、知識をまとめたいとか、思索を記録したいという欲求に駆られます。

しかしこれまで何度も試み、何度も失敗しました。

形あるものを残すことの虚しさにおそわれるためです。

そのため、欲求に駆られたときは「一切は無」と心の中で唱えます。

すると適度な虚しさに包まれ、欲求がなくなります。

形あるものを残すことが人生の意味ではないかと感じるときもありますが、

死後に何か残るという前提自体が虚しい期待のような気もします。


何かしたいと思いつつ、何もしたくないとも思う。

このどっちつかずの落ち着かない感情の中で私は「一切は無」と唱えます。

そして感情を抑え、自然の流れに人生をゆだねようとします。


結局すべてはなるようにしかならないのでしょう。

何かを残すにせよ残さないにせよ、なるようになるのでしょう。


そういう虚しさが人生にはあります。

ただその虚しさはとても穏やかなものです。

この穏やかさに私は救われます。


独りそんなことを考えました。