このブログを読ませて頂き、
何となくしっくりきたので
リブログさせていただきます
私は、反抗期といえるほどの
反抗期がなく、
「いい子」
と言われていました
赤ちゃんの頃から
手がかからないいい子だった
我慢強い子だった
勉強頑張る子だった
優しい子だった
物を欲しがったり駄々こねない
育てやすい子だった
・・・そういう風に大人に
見せるために
頑張っていました
それに対して周囲の大人たちが
良い事とほめてくれるのが
嬉しくて、
次第にそうじゃなきゃいけないと
思ってしまっていた気がします
私のこの経験は、
マイナスなことばかりではないと
確信しています
そういう経験の中で相手の気持ちを
考えることを覚えたし、
誰かを喜ばせる喜びを
感じられる人になれたと思うので
ただ、一番ぶつかるべきときに
親に言いたいことを言えずに来たことは
事実です・・・
私はこのまま物理的に大人になり、
社会人になりました
だけど、精神的には傷を恐れて
衝突を避けてきたので
幼いままだったと思います
大学から親と離れて暮らし、
自分の生活が確立されると
親のことは嫌いじゃないけど
実家に帰るのが億劫になりました
その状態を家族や親戚から
冷たいと言われたりして
そこで初めて反発心を頂きました
私には私の生活があるんだ!
私だって迷惑かけないように
バイトしたりして自立して
頑張っているんだ!
家族や親戚は視野が狭い!
今はそんな時代じゃないんだ!
と
相容れない感情が出てきました
そして26歳の頃
大爆発しました
1度目の結婚の失敗のときです。
母親に暴言も吐きました・・・
母親のせいにもしました・・・
そして母からは
「あなたの考えてることが
一切分からない。。。
あなたは私にとって宇宙人だ。
理解できない」
と言われました
言われた瞬間は
「ありえない!自分が生んだ子なのに」
「理解しようともしないなんて」
と頭にきて、悲しくて、泣きました
でもこの瞬間が
ブログに書かれていた
「母殺し」だったと思います
そこから2年ほどは、
お互いにぶつかっては離れて
口を利かなくなったり、
もう縁がこのまま切れるのかと
思ったこともありました。。
今振り返ると暗黒ですが、
なくてはならない時間だったのです
この時間の間に
私は、一人で生きていくということを
本気で考えました
そして、自分という人間が
どういう人でいたいのか、
母親が喜ぶとか、
周囲から優しいと思われるとか
一切をなくしたときに
私はこういう生き方をしたいと
思える生き方ってなんなんだと
考えました
苦しくて、悔しくて、悲しくて、
恥ずかしくて、歯痒くて、怖くて、
逃げ出したい時期でした
答えなんて今も見つかってはいません。
でも、痛くて苦しい中を
うーーーっと耐えていると
自然と溶けていく感じが得られて
片意地を張って自立を振りかざす
必要がないと思えるようになりました
何が良かったのかも
正直わかりません
でも明らかに楽になったんです
それを実感し始めてからは
どんどん良い方向に加速しました
仕事も、恋愛も、母との関係も。
ぐちゃぐちゃに絡まった糸が
スルスルっと解けて
1本のきれいな糸に
なるようなイメージでした
思春期に勇気が持てず
ややこじらせてしまった私ですが、
結果的には20代で良い経験を
できたと思います
家庭も人もそれぞれ異なるので
色んなパターンがあって当然で
タイミングも人それぞれ。
私の波乱の20代を整理してくれる
ブログでした
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さっき耳鼻咽喉科の
受診が終わりました
左耳の難聴が発覚しました
特定のヘルツだけですが、
がたっとそこだけ聴力が
低下しているそうです
ただ、最近起きている耳鳴りの
音の種類と両耳で聞こえている
ことから脳神経外科で
MRIとMRAを撮って
血管&神経の問題がないか
確認するために
検査を提案されました
それで原因がなければ
この片耳の難聴が耳鳴りを
起こしている可能性が
高いことになります
私も原因は追究したいし、
仮にその検査で痛みに関することも
発見できるかもしれないので
2つ返事でお願いしました
先生がすぐに紹介状を書いて
くれて、近くの病院で予約まで
取ってくれました
来週の金曜日に検査に行き、
その画像を持ち帰って
耳鼻咽喉科に再診に行きます
それにしても初めて難聴の事実を
知ってびっくりしました
でも生活上困っていないので
まぁOKですね
しかもこれが原因だとしたら
治療で耳鳴りがなくなるかも
しれないですし、
原因があって
それに対処できることは
幸せだと思います
天気の悪化でやはり痛みが
出ていますが、
今日の午後は整骨院も
予約しているので
頑張って行きます
皆さんの体調も
天気の崩れに悪影響を
受けませんように