調子が良いので
本日は2度目のブログです
私の祖父母は
私が中学生までの間に
父方も母方も亡くなりました
私が物心ついた時には
リウマチで寝たきりだった
父方のおばあちゃん
小学校2年生の頃に
亡くなったのと
外出がほとんどできない状態
だったので
おばあちゃんとの
思い出は正直あまり
思い出せません
でも写真を見返してうっすら
記憶にあるのは
杖と外出の時に被っていた
てっぺんがネットになっている帽子
あとは、家いくと
いつもベッドに寝てて
優しい笑顔で
「あやたん!」と
私の名前に”たん”を付けて
呼ばれていたことです
今考えると
リウマチだったから
毎日痛みと戦っていたんだな~と
少し悲しくなります
私が病気になってから
初めて聞いたことですが、
実は祖母はリウマチの検査を
最初うけたときに
異常なしだったそうです
でも痛みだけが酷く続き、
最終的にはリウマチの診断が
おりたらしいですが、
長い間リウマチの疑いという
状態だったらしいです
医師から遺伝の疑いを
聞かれたときに父親に聞いて
初めてしりました
そして父が
「もしかしたらばあちゃんも
繊維筋痛症やったんかもな~」
と言ってました
当時はおそらくこの病気を
診断できる医師は
皆無に近かったと思います
だから祖母も
謎の痛みに日々悩まされ、
検査で異常も出ず、
苦しい思いを抱えていたのかも
しれないです
そして父方のおじいちゃん
おじいちゃんは、肺がんでした。
60代でしたが、
転移で喉頭がんや
さまざまな場所がガンに
侵されて痛みも酷かったです
最後の入院の前に
数か月間うちの家に
来ていました
昔の人で男の子を大事に
するおじいちゃんだったので
私の兄のことを
とても可愛がっていました
でも一緒に暮らしたときに
私が不思議とおじいちゃんの
そばにいることが多くて
それを喜んでくれて
そこからは可愛がってもらいました
モルヒネの投与が必要になって
入院をしてそれから間もなく
亡くなりました。
私が小学校4年生くらいです。
おじいちゃんが亡くなったとき
涙が止まらなくて
病室で冷たくなったおじいちゃんの
脚を私はずーっと
さすって温めようとしてました
母が止めに来ても
やだ・・と泣いていたそうです。
競馬が大好きで
お酒が好きで
大人の事情では問題も
あったと思います
でも私はおじいちゃんが
大好きだったんですよね
そして母方のおばあちゃん
おばあちゃんは
糖尿病とガンを患っていて
最後はさまざまな合併症で
亡くなりました。
母側のおじいちゃんは母が
まだ高校生だったときに
家を出ていて、
正式な離婚はしていないものの
別の相手と事実婚状態でした
そしてこのおばあちゃんは
7人の子を女手ひとりで
寿司屋を切り盛りしながら
育て上げた
とてもすごい女性です
おばあちゃんはとても
分かりやすく愛情を
表現してくれる人でした。
会いに行くと
ぎゅーっと抱き着いてきて
「元気かぁ??かわいいなー」と
糖尿病で目が悪くなってからも
変わらず愛情表現を
してくれてました
あといつも「暴れん坊将軍」を
みてましたね笑
私が小学校6年生の修学旅行の
直前に亡くなりました。
おばあちゃんが亡くなって
数年後に家を出てた
おじいちゃんの話を初めて
聞かされて、
中学生になって
初めて母方のおじいちゃんと
会いました
おじいちゃんも咽頭がんを
患ってもう長くなかったんです
それで私の母たちが
親戚で話し合って
孫たちの顔もみせようと
いうことになったようでした
その時の事で覚えてるのは
3人の祖父母をなくして
私にはもう祖父母はいなくなったと
思っていたので、
事情はありますが
おじいちゃんに会えるのが
嬉しかったのを覚えています
今考えると母としては
複雑だったかもしれません。
おばあちゃんが亡くなった時、
このおじいちゃんのお兄さんが
病室に来てくれたんですが、
このお兄さんが
おじいちゃんと瓜二つ
だったんです。
おばあちゃんは
息を引き取る瞬間に
そのお兄さんの顔を見て
瞬間的に目を見開いて
体温が急に上がったらしいんです。
単なる生理的現象なのかも
しれませんが、
おじいちゃんだと思ったんだとしたら
おばあちゃんはまだおじいちゃんを
大事に思っていたのかなと
思います
だとしたらおばあちゃんは
幸せだったのかなって
少し悲しくも感じます
そしてそのおじいちゃんもガンで
余命僅かということで
私はあったものの
何を話せばいいか
分かりませんでした
ただただ病院のベッドの横の椅子に
座って母や父が話しているのを
聞いていただけの気がします
そしてはっきり覚えていることが一つ。
帰ろうとしたら私に
「これをやろう!」と言って
水で水彩画みたいになる
色鉛筆のセットを
くれました
おじいちゃんは絵が上手だったらしく
画材が病室にありました。
何もあげられるのがなくて
おじいちゃんなりの
精一杯の愛情だったのかも
しれないです
嬉しかったです
中学校1年生で
4人とも亡くなりました。
小学校~中学までの間
親は介護をしていたので
病院によくいた記憶があります
友達からおじいちゃんおばあちゃん
の話を聞いたり、
~を買ってもらったとか
お年玉をもらったとか
聞くと、
私はもういないな~と
寂しい時期もありました
でも、祖父母から
たくさんのことを教わったと思います
だから
もし今祖父母に逢えたら
「ありがとう」
「私結婚したよ、
病気とも闘えてるよ!」
「お兄ちゃんは子供もできたよ」
「お父さんとお母さんは喧嘩しながらも
元気にやってるよ」
と笑顔で話したいです
今日は久しぶりに
昔の話を思い出してみました
週末は予定を詰めずに
ゆっくり過ごそうと思っています
気温も下がってきていますね
寒さが皆さんの痛みに
つながりませんように