こんにちは
今日もブログを見て頂き感謝いたします。
 
今回のテーマは広島観光になりますので宜しくお願いします。

7月22~23日、羽山みずきさんのライブが広島と大阪で開催されました。

移動の時間を利用して広島観光を楽しんできました。

宮島の夕焼け、夜の原爆ドーム、呉のヤマトミュージアム、お好み焼き…

ライブと合わせて楽しい旅となりました。

 

宮島の夕焼け

7月21日、コンサートの前日に広島のホテルにチェックイン。夕方、天気も良さそうなので宮島の夕焼けを見に行くことにしました。地元宇都宮は内陸の地方都市なので日の出や日の入りを見るのは難しいのです。

 

宮島への交通機関はJRと市電があります。
今回は速く着けるJRで行くことにしました。
広島駅からJR宮島口まで40分程度で到着です。

JR宮島口駅です
宮島へは港から船を利用します。
港は徒歩で5分程ですが連絡船はJRと連動していますのでゆっくりしていると乗り遅れてしまいます。
駅前通りです
市電の駅を過ぎるとすぐ港です
駅員さんが早く乗ってくださいと言うので慌てて乗船しました。
夕刻ですのでお客さんは少ないです。
船から宮島口方面
宮島の鳥居が大きくなってきました。
気がつくとカメラのレンズに水滴がついています。塩分を含んでいるので注意したいですね。
宮島側の船着き場です。
海沿いの道を歩きます。
さっそく松を食べる子鹿を見つけました。
鹿は参道に沢山います。
お腹が空いてあるのか袋の中に顔を入れてきます。荷物は手に持っておいた方が安全ですね。
時間があるのでスタバでコーヒーを買いました。
夕方は多くの店が営業を終えています。
ここで夕暮れまでのんびりと時間を過ごします。
日も陰ってきましたので撮影場所まで移動します。鳥居の周りにはすでに多くの方がスタンバイしています。
 
潮の引いた鳥居です。
この鳥居は9代目だそうです。
砂の上に置いてあるだけ。
倒れないのは地盤工事をやっているからだそうです。
古代の建築技術も素晴らしいですね。
奥が厳島神社です。
良く見ると砂に隠れて小さな蟹がいます。
お~、ようやく夕焼けが始まりました。
神秘的な光景です。
来て良かった。
鳥居と夕焼け、良いですね!
日本三景・宮島の夕焼けです。
平家一族もこの景色を見ていたのでしょうね。
今は海外から来た親子連れやカップルが石垣の上で寛ぎながらこの神秘的な光景を見ています。
狛犬・吽
狛犬・阿
山道には狛犬が2ヵ所置かれています。
これは厳島神社寄りのものです。
阿吽の教えは仏教から来るもの。
神仏習合の名残りですね。
宮島の船着き場に戻ってきました。
JR宮島口の日は落ちて辺りは暗くなり始めています。
 
夜の原爆ドーム
翌日の7月22日、コンサート後ドームがライトアップされているというので立ち寄ってみました。
夜景が綺麗です。
ライトアップされた原爆ドーム!
威圧感があります。
光線と爆風で一瞬にしてこのような形に姿になりました。戦争で破壊された建物は今も毎日のように報道されます。しかし核兵器で破壊された建物は長崎と広島だけです。
核兵器は都市を丸ごとこのような姿に変えてしまいます。
アメリカは自国の損失を最小にするためだったとして核兵器の使用を正統化します。しかし如何なる理由もこれを正統性する理由にはならないのです。
 
原爆ドームのライトアップは戦争の悲惨さを浮き上がらせます。悲劇が繰り返されないことを祈るだけです。
 
呉の大和ミュージアム
7月23日は大阪ライブの日、早朝に広島市内のホテルを出発、JRで呉を目指します。
呉の様子はドラマ「この世界の片隅に」で紹介されていました。
 
海と山の間を電車は進みます。
呉駅の改札を出るとすぐに大和ミュージアムの案内が目に入ります。会場は歩いて数分です。
帰りの電車を確認してから会場に向かいました。
海の主役・戦艦大和です。
一番艦・大和は呉工廠、二番艦・武蔵は長崎三菱が建造しました。
完成は1937年で連合艦隊の旗艦として活躍しました。
 
4年後の1941年、日本の爆撃機が当時不沈戦艦と言われたイギリス海軍の「プリンスオブウェールズ」を撃沈する事件が起こりました。世界に衝撃が走ります。日本の航空部隊が軍事常識を変えたのです。
 
この事件から戦争は戦艦から飛行機の時代になって行きます。大和、武蔵を巨艦大砲主義と批判する方がいますがそれは違います。兵器は時代と共に変わって行くのです。ライフル銃でアフリカ大陸は西洋の植民地となりました。新しい武器を手にした人たちが持たない人たちを蹂躙していく。それが人類の歴史です。
空の主役・ゼロ戦です。
旧日本軍は航空戦力にも力を入れていました。
戦艦、空母を一体化された連合艦隊は最先端の軍事システムでした。その主役となったゼロ戦は一万機作られたそうです。
お寺の鐘や鍋釜までかき集めて突き進んだ太平洋戦争。
一体何の意味があったのでしょうか?
本物の海軍旗です。
ミュージアムは太平洋戦争に関する様々な資料が展示されています。
人の命は紙より軽かった。

そのような時代だったのです。

 
広島駅でお好み焼き
慌てて広島に戻りお好み焼き屋さんを探します。
昼時はどこも長蛇の列です。
待つこと30分やっと入店できました。
そば入りお好み焼きをオーダーしました。
やっと食べられた、美味しいです。
 
記事はここまでです