世の中には、良くも悪くも「なんであるんだろう?」と思うものがある。


例えば、部屋のすみっこから発掘される1円玉。


例えば、お葬式で普段会わない親戚と会ったときの気まずさ。


例えば、シャーペンの後ろの消しゴム。


例えば、出欠席を取らない補講。


同窓会、飛ばせない広告、
体育のマラソン(だいたい冬にやる)、
酢豚に入っているパイナップル、
県名と関連していると思えない県庁所在地。

色々あるが、おそらく人によってさまざまである。


しかし、わたしは昔からずっと、
なんであるんだろう?と思っていることがある。


それは、
本の最初と最後にある何もないページのことだ。


もしいまあなたの手元に本があれば、

表紙をめくって確かめて欲しい。

そこそこしっかりした紙が一枚挟まっているはずだ。


読み始めと読み終わりでしか気にならないけれど、そういえば不思議である。



だがこれまでを振り返ってみると、
その白紙のページが舞台上でいうところの緞帳としての機能を果たしているのではないか。
そう、わたしは思った。


さあ読むぞと表紙を開き、白紙をめくるとタイトルがある。

この、タイトルの前に一枚あると、ワクワクはだいぶ違ってくる。

また、あとがきのあとに作者や第何版と書かれたページのあとに、白紙があって背表紙になる。


これがあって、心の底から「ああ、読み終わったんだな」と思えるような気がするのだ。



つまり、
わたしは開演ブザーが鳴って幕が開く瞬間をはじめの白紙に、

劇が終わって幕が閉まり、「終わったー」と思う瞬間を終わりの白紙に重ねているのである。

そうだったのか白紙。

ありがとう白紙。



ということは、
どうでもいいが、わたしは本の内容よりも、最初と最後が好きなのかもしれない。