漢文 論語・孟子

(訳)



[二]

①先生が言われた、「わたしは十五歳で学問を志した。

②(そして、その努力を十五年継続して)三十歳で、自分なりの立場を確立し、独り立ちができるようになった。

③四十歳になると、自分に自信を持って心に迷いがなくなった。

④五十歳になると、天から与えられた自分の使命やあり方とは何かを悟るに至った。

⑤六十歳になると、人のことばがすなおに耳に入るようになった。

⑥七十歳になると、自分の心のままに振る舞っても、人間としての道を踏み外すことがなくなった。」と。


[三]

①先生が言われた、「学んで、(そのことについて)折に触れて復習して身につける、なんと喜ばしいことではないか。

②(学問をしていると)同じ志を持った人が遠方からもやってくる、なんと楽しいことではないか。

③他人が(自分の値打ちを)知ってくれなくても、心に不平不満を抱かない、そういう人こそ学徳・人格の備わった人ではないか。」と。




[四]

①先生が言われた、「学ぶだけで(その内容について)思考しなければ、(物事が)ぼんやりしていてよくわからない。

②(またその逆に、自分の頭の中で)思考するだけでほかから学ばなければ、あやふやで落ち着かない。」と。




[五]

①子貢が尋ねて言った、「一言で生涯実行していけるだけの価値のあるものがあるでしょうか。」と。

②先生は言われた、「それこそ恕(=思いやり)だなあ。

③自分のしてほしくないことは、人に対してしてはいけない。」と。




[六]

①先生が言われた、「口先がうまくて、愛想のよい顔つきをする人には、仁の心がほとんどない。」と。




[七]

①先生が言われた、「意志が強く、しっかりしていて、飾り気がなく、口が重い人は仁者に近い。」と。




[八]

①曾子言われるには、「わたしは一日に、自分の行為を何度も反省する。

②人のために考えてあげるについて、自分のまごころを尽くさないことはなかったか。

③友達と交際するについて、うそをつくことはなかったか。

④(学んだが)まだよく自分の身についていないことを、人に教えはしなかったか。」と。



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[九]

(書き下し文)

孟子曰はく、「仁は人の心なり。義は人の路なり。
其の路を舎てて、由らず。其の心を放ちて、求むるを知らず。
哀しいかな。人、けい犬の放たるること有らば、則はち、
これを求むるを知る。放心有りて、而も求むることを知らず。
学問の道は他無し。其の放心を求むるのみ。」と。

(訳)

孟子が言うことには、「他人を思いやる気持ちは人の心である。
正しい行いは人の道である。正しい行いを捨てて、道を歩まない。
その心(正しい行い)は求めることを知らない。哀しいことであるなあ。
人は飼っているにわとりや犬がいなかったならばその時は、
このにわとりや犬を探すことを知っている。
仁をなくした心があれば、探すことを知らない。
だから学問で仁を学ぶのだ。そして自分のなくした心に
仁を求めるだけである。」




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古文 



『伊勢物語/東下り』

【口語訳】

昔、男がいたそうだ。
その男は、自分自身を必要のない者と思い決めて、
京にはいまい、
東国の方に住むのにふさわしい国を探しにと思っていったそうだ。
以前から友人にしている人、一人二人と一緒にいったそうだ。
道を知っている人もいなくて、迷いながら行ったそうだ。
三河の国八橋という所についた。
そこを八橋といったのは、水が流れていく川が
蜘蛛の手のようなので、
橋を八つ渡してあるのにちなんで、八橋といったそうだ。
その沢のほとりの木の陰に馬から下りて座って、乾飯を食べたそうだ。
その沢にかきつばたがとても美しく咲いていた。
それを見て、そこにいる人が言うには、
「かきつばた、という5文字を各句の初めて置いて、
旅のわびしい思いを歌に詠め。」
と言ったので、詠んだ歌。

美しい着物が何回も着ているうちに体になじんでくるように
慣れ親しんだ妻が都にいるので
はるばるとやってきた旅がしみじみと思われることだ。

と詠んだので、
一行の人々はみな、乾飯の上に涙を落として乾飯がふやけてしまった。
先へ先へと進んでいって駿河の国についた。
宇津の山について、
自分がこれから分け入ろうとする道はたいそう暗く細い上に、
つたやかえでが茂り、
何となく心細くて、思いがけなくつらい目に遭うことだと
思っていると、思いがけなく修行者が来合わせた。
「このような道に、どうしておいでになるのですか。」
と言うのを見ると、
以前都で会って知っている人であったよ。
都へ、あのお方の所へと言って、手紙を書いて託す。

私は今駿河の国にある宇津の山あたりにいますが、
その宇津という山の名ではないけれど
うつつにも夢の中でもあなたに会わないことだなあ。

富士山を見ると、5月の終わりごろなのに、
雪がとても白く降り積もっている。

季節をわきまえない山は富士の嶺だなあ。
今をいつだと思って、
子鹿の毛の白い斑点のように
雪が降り積もっているのだろうか。

その山は、都で例をあげると、
もし比叡山を二〇くらい重ね上げたとしたらというほどの
高さで、形は塩尻のようであったそうだ。
さらに先へ先へと進んでいくと、
武蔵の国と下総の国との間にたいへん大きな川があり、
それを隅田川というが、
その川のほとりにかたまって腰をおろして、思いをはせると、
この上もなく遠くへ来てしまったなあ、と互いに嘆き合っていると、
渡し守が、「早く船に乗れ。日が暮れてしまうぞ。」と言うので、
船に乗って川を渡ろうとすると、
一行の人々は皆何となく悲しくて、都に恋しく思う人が
いないわけではない。
ちょうどその時、白い鳥で、くちばしと脚が赤い、鴫ぐらいの
大きさであるが、水の上で遊びながら魚を食べている。
都では見かけない鳥なので、
一行の人々は誰も見知っていない。
渡し守に尋ねたところ、
「これが都鳥だよ。」というのを聞いて、

おまえがその名にふさわしい鳥ならばさあ尋ねよう、
都鳥よ。都にいる私の恋しい人は
生きているのか、いないのかと。

と詠んだので、船に乗っている人は皆泣いてしまったそうだ。

つひにゆく道

 その昔、ある男が病気にかかり、もう間違いなく死にそうな気分になったので、こんな歌を詠んだ。
  人間誰しも最後には必ず行く道、それが死出の旅路というものだ・・・とは、以前から聞いてはいたものの、まさか昨日・今日にもそれがやって来ることになろうとは、思ってもいなかったというのになぁ  


感謝しろよな(笑)