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伝手のないファッション誌のライターになろうと
セブンイレブンに向かった理由
20代は綺麗めカジュアルな服に夢中。BAILAが愛読書でした。
フリーランスのライターになろうと考えた時に思いついたのが、
大好きな服にも関われる、ファッション誌のライターでした。
でも、伝手がないですし、何より当時、雑誌ライターになるフローは何となく決まっていて、
1、大学時代から編集部アシスタントを経験している
2、読者モデルからの転身
3、プレスからの転身
私の知る限り、上記の3パターンだったように記憶しています。
(違ったらごめんなさい)
27歳から目指すにはとても遅いスタート。難しい…
どうしようかなと思ったときに目に留まったのが、会社前にあるセブンイレブン。
雑誌がずらっと並ぶ棚を見て、伝手はないけどここに連絡先があるじゃん!
と雑誌を買いまくって、雑誌の背表紙に記載してある出版社と編集部の住所、
編集長の名前を書き出しました。
履歴書を送るも、半年間、どこからも音沙汰なし
雑誌に書いてある住所へ、履歴書と恋愛ゲームのシナリオ(今考えると迷惑)、そしてやりたい企画を資料にして片っ端から送りました。
当然ながら、連絡なし。今振り返っても、変なやつとしか思えない…笑
会社は、急に辞めてしまうと迷惑がかかると思い、上司には1年後に辞めたい旨を伝え
、後任育成と週3日のバイトとしての働き方に切り替えていました。
このまま会社を辞めると仕事がないな…と思い、ライターとは別に趣味で習っていたアイシングクッキーの講師の資格を取得。
新宿伊勢丹でアイシングクッキーと楽曲のコラボ作品を販売したこともありました。
週3日は会社、週2日はアイシングキッキーの講師、シナリオセンターで勉強、雑誌は経験がないので雑誌の形を書き写す、のような生活をして半年…突然、電話がかかってくるのです。
履歴書を送っていない、編集部から電話が来る
ウェブライターから始めませんか?とお電話を頂いたのが、mamagirl編集部。
私はまだ子どもがいなかったので記憶だと履歴書は送っていなかったはずでしたが(たぶんand girlに送っていたと記憶)、「はい!よろしくお願いいたします!」と二つ返事でした。
mamagirl編集部に出入りさせていただくようになっても、ライターの仕事はなく。当時の編集長にこれやってみない?と言われた雑務をこなしていました。
・道端で読者モデルのスカウト
・インスタの運用
・簡単なウェブ記事作成
・リアルイベントの企画、実行
リアルイベントに関しては、読者モデルさんに取材をするたにママ友を作るのが難しいと聞いていたので、ならば、と『ママ友合コン』と題して、カフェを貸し切って合コンを開きました。仲良くなったママたちがインスタでも活動してくれるようになり、やりがいを感じました。
アシスタントをしていく日々の中で、ありがたいことに娘を産んで、子育てと仕事の難しさにぶつかり・・・6年前は保育園に入るのが難しくて保育園に落ちまくり、1歳まで子連れで仕事へ行く日々。すごく、きつかった。ここでまた転機が訪れます。
編集さんが転職、VERY編集部へ
2018年の2月号でデビュー。いまだに読み返します。
mama girlで働いていた編集さんが転職され、VERY編集部へ。ライターがやりたいと言っていた私に声をかけてくれて、紹介という形で入り、チャンスを頂くことができました。(自分が考えた企画を編集さんに提出して、通ったら仕事がもらえるコンペ形式)
やっと企画が通り、撮影したのが「ワンオペ育児エンジョイ宣言!」
完全母乳で(意図せずなってしまった)保育園にも入れなかったため、娘を連れての撮影。とても大変でした。終わった後に、過労で点滴打ったのを覚えています。
そこからまた企画が通らない不遇の半年があったのですが、とにかく来た仕事は断らず挑戦。もちろん、書く仕事以外も。締め切りに間に合わなかったり、フェードアウトしてしまった仕事もあり、子どもと仕事の両立は頭を抱えることが多かったです。子どもが体調を崩して夜泣き三昧でも、締め切りは待ってくれないので睡眠30分という日もあって、大失敗の連続でした。。
今考えると、出来ないこと出来ないと答えるのも仕事のうち。
下積みがなにせ長かったので、チャンスは2度とこないかも!焦る気持ちを優先していたのはよくなかったと反省しています。
VERY編集部から卒業へ
約6年、VERYで辛いことも楽しいことも、たくさんの経験を積ませて頂きました。
最後の1年は、こんなに劣等生だったのに専属ライターにもしていただけました。
その中でインスタライブなど前に出ることが多くなり、"VERYの高橋さん"と呼ばれることに、私ってライターを目指していたのに、スケジュール帳を開けば、インスタライブの予定に合わせて原稿の締め切り考えて調整したり、逆にライター業がおろそかになってる、どうしよう・・・や、実力に見合ってないと思い始めて悩むようになりました。34歳で2024年には35歳。40代も見えてきたところでキャリアチェンジしようと卒業を決めたのでした。
日テレ発のブランド アウディーレのリーフレットを担当させていただきました。
VERYを卒業してもうすぐ1年が経とうとしています。早い!
嬉しいことに、ずっとやってみたかったブランドのリーフレットを担当させて頂いたり、連載を持ったり、コラムを書いたり、締め切りも順調で(ここが大切)3人目も授かることができました。
3度目の妊娠であっても、仕事と家庭の両立は難しいです。でも、心は充実していて、一時期、人間不信の暗いキャラでしたが、元々の陽気キャラを取り戻して、かつ拍車がかかって、自分でも引くほど陽気キャラです(30代で人格変わることってあるみたい)。
ライターになりたいと悩んでいる方へ
ちょこっと前に書いたように、VERYの企画が通らない不遇の半年がありましたし、私と同時期に入ってもっと活躍していたライターさんはたくさんいまして、どちらかというと劣等生だったと思います。
夢を見る、続ける、失敗して信用を失う(これは2度とやってはだめ…)、でも続ける。
私は、トライ&エラーを繰り返して、時に道が逸れてもいいから進もうと思って続けてきました。
ライター業務は、アポ入れ、当日のスケジュール調整、スタッフ集め、お弁当発注、撮影の意見だし、コーデチェック、時にコンテも書いて・・・書くだけではなく下準備にものすごい労力がかかります。
今だに、ああすれば良かった、こう出来たのに、と思うことが多く、段取りがうまくいかなくて迷惑かけちゃったなど反省ばかり。好きじゃないとやってられない仕事だとは思います。
F by ROSSOのウェブ記事は、可愛いプレス河野さんと、大好き。
大学時代から書くことを仕事にする!と目指し始めて、今ライターとして仕事ができるようになってきたかなというところ、、10年以上かかってしまいました。
取り柄がなくたって、就職先が決まらなくたって、伝手がなくたって、知恵を絞り出してなんとかやってこれたのだから、
今、ライターになりたくて悩んでいらっしゃる方へのアドバイスがあるとしたら、
大丈夫、まずはやってみて〜^^と思います。
ちなみに学校へ通ったほうがいいのか、という相談もいただくのですが、通うのもいいと思いますが、撮影まで担当するとなると人脈(スタッフの連絡先)も必要になってくると思うので、30代超えているのならばとにかく現場に出て経験とスタッフと撮影を積んで、どんな企画にどんなスタッフさんが良さそうまで感触を掴みにいく方が大切だと思います。
ネット検索すれば、編集部アシスタントの募集やウェブライターの募集が今は簡単に見つかる&たくさんありますし、学校より働くことのほうが近道だと思います。
もがいている方がいたら抱きしめたい・・!
心から、応援しております💐
おまけ
塾代わりにこちらの本、参考になりました^^
1冊持っておいてもいいかも。
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