闘病兄を支える妹
みなさまお疲れさまです。
投稿がかなり遅くなりました。
ごめんなさい。
兄が亡くなったのが10月15日…
亡くなるまでは自発的に話す事は
少なくなってきていましたが、
話している事も理解していましたし、
まぁただ、ぼーっとする事が多く、
寝てる事も多かったですね…
そんな兄が亡くなって、もうすぐ
3ヶ月が経とうとしています。
兄はずっと今年の冬を越せたらいいなって
言っていましたし、欲しいものは?
って言った時は冬服を買いに行きたいとも
言っていました。
兄の仏壇の前で
【もうこんなに寒くなってしまったよ〜】と
話していた所でした!
厚手靴下や仕事に着けて行ってたマフラーを
母は仏壇近くに置いていつでも付けれるようにと
用意をしていました!
前回言っていたお話に戻って、
兄と同じ病気の方や、今隣でサポート
されてる方に少しでも力になれたらいいなと
思いまとめたので、
読んでくださったら嬉しいです!
①抗がん剤を打ち始めてすぐくらいから、
体の体温調節が出来ず、体のあちこちに
マグマ🔥を飼ってるみたいに体に熱がこもったり、
痛みの場所が暑すぎると冷たい私の手を
当たると【お〜ええ感じや~】と言っていました。
あとは(体痛すぎたらとにかくお風呂で温める。)
温泉にも沢山行きましたし、兄1人ででも
温泉に行くくらい楽になると言っていました。
家ではお風呂をすぐ沸かせられるようにも、
常に声をかけて準備はしていました。
②抗がん剤の副作用で、味覚がダメになった時、
とにかく少しでも口から物を入れて欲しくて、
色々試しました。濃い食べ物や出汁、
癖のあるものは食べられず、素麺やお粥、
甘いものを好んで食べていました。
普段兄はそこまで甘党ではないのですが、
かなりのプリンとお饅頭と甘いものに合う
お茶を葉っぱから選んで飲んでいました!
体に直接流動する方法は先生も勧めて来ず、
きっと口から食べる事をやめてしまう事が
死を早める考えだったのだと思います。
なので最後の最後まで口から食べていました!
③兄は人より我慢強い人で、
1〜10までの痛みの数字の感覚が、
人より2~3くらいズレていました。
かなり痛いはずなのに、5とか言ったり…
なのでレベル10になると兄の機嫌が
一気に悪くなります。人が乗り移ったかのように
わかりやすいですし、当たられるのは
慣れているので気にしませんが、
まずは、体の事を優先に10にならないように
試行錯誤していました。
そこで少しでも痛くならないように、
座椅子とクッション2つを車に常に積んで、
いつでも出せるようにしていました!
④必ずどこへ行くにも薬を持つ事。
私がいない時によく持ち合わせてない事が
多く、合流して薬飲んだ?って聞くと、
あ。忘れた。って…。
一緒にいるなら声をかけるだけでも
してあげてよ~ってなりますがね…笑
飲まない代償は必ずあとで返ってきてました。
かなり辛そうでした…。
⑤抗がん剤の時は特に、菌や感染から守る事。
気持ち程度でも気をつける事ですね…
肺炎や感染症は目に見えないですし、
風邪やウイルス系も私は気にしていました。
なので、私は常に家でもマスクをし、
兄と話す時は少しだけ下がって、
犬のペロペロもやめた方がいいよと伝え、
犬の排泄物の処理も毎日私は変えさせて
もらっていました。そして部屋の換気。
窓を開けて空気を入れ替えるだけでも、
こもりっぱなしなので気を遣っていました。
まずはこんな所でしょうか…
まだまだありまして、次に持ち越しますね!!
兄とのお正月は、
大好きな身内みんなで過ごせて、
従兄弟みんな私達に気にかけてくれて、
兄も喜んでくれていたと信じたいですね♪
それではまた明日です
読んで下さりありがとうございました

みなさん、お疲れさまです!
兄の闘病生活のお話をすると言いながら
全くできておらずすみません…。

先日兄の四十九日がありました。
一つ気づいた事があるんです。
49日間、日が経つごとにつれて、
周りから、
【お兄ちゃん成仏してるんやわ〜】
【ちゃんと神様となってみてくれてるよ】
【あんた、仕事は?】
え。私だけまだ立ち直れてないのなんで?
と考えていたんです。
その理由は兄と最後まで一緒にいたからだ…と
少しでも兄を忘れたくなくて、
鮮明に覚えていた事もこれから忘れて
行ってしまうのかなと思うと悲しくて…
49日間かなりしんどかったですね…
精神的にやられてる感じでした…
周りはみんな仕事に行ってて…
私も復帰しなきゃって思っても
行く気になれなくて…
私のやりたいことはなんだったんだっけ?
なんでこの仕事してるんだっけ?
兄を1番に考えて動いて来て、
兄の病院ややりたいことにスケジュールを
合わせられるように仕事を選んで…
はい。自由に生きていいよ!といきなり
言われた感覚で…
ぽっかり穴が空いて…
切り替えられる訳もなく、悲しみと
話したくても話せない虚しさを
兄の前で聞いてもらっていました

いずれこうなることを予測していたのに、
これでもかってくらい話しておけば良かったと
少しばかり後悔が残りますね!
兄が居なくなって、
兄が今まで背負っていた分が
私にのしかかってきつつあり、
長女としてやらないといけない事は
私なりに全うしようと思います。
兄も極楽浄土で修行🧘をしていると
思うので私も負けじと頑張ります!!
兄の闘病中のお話をまとめてはいるので、
今度こそ載せていきますね

読んで下さりありがとうございました!

また明日です!
みなさん、お疲れさまです!
兄が亡くなって1ヶ月が経ちました。
かなりのハイスピードで月日が進んでおります。
四十九日前の月命日、
家族で兄を思い出しながら料理を作り
冬場兄が好きだった母のちゃんこ鍋を食べ、
兄の好きだった曲をかけて、
みんなでもう一ヶ月かぁ…早いなぁと。
兄が亡くなる前、人工呼吸器をつけてる時
1人数分間だけ兄と話す時間を設けてもらい、
兄と2人で兄弟最後の時間を過ごしました。
何を話したか…あまり記憶がなくて、
うる覚えではありますが、
手をにぎりながら、泣きながら伝えました。
【にぃ最後までよく頑張ったなぁ】
【辛かったよな。痛かったよな。】
【にぃの横におらせてくれてありがとうね】
【ほんっまにかっこよかったよ!】
【かっこいいおにぃでいてくれてありがとうね】
【家族を大切にしてくれてありがとう】
【おにぃの変わりは出来ひんよ…どうしよ…】
【でもゆっくり休んでな?あやがんばるから…】
【にぃはほんまによく頑張ったから

】
【あやと兄弟でいてくれてありがとうね】
【にぃと兄弟なれて幸せやったよ】
【生まれ変わってもまた兄弟になろうな!】
兄は涙を流してくれて…
私は兄の涙を拭いながら…
【え!え!泣かんといて〜】
【私までもっと涙出るやんか〜】
【にぃお空で見守っててな】
【ほんまにほんまにありがとう】。
手も
ギュッって握り返してくれて…
心から嬉しかったぁ

幸せな数分間でした。
誰にも干渉されず、兄と2人の時間に
向き合えたことが何よりも嬉しかったです

今まで兄弟で過ごしてきた時間、
32年間兄の事を見続けてきた時間が
あまりにもあっという間で
一瞬の出来事に感じます。
一年半ずっと兄の事を考え続け
行動し続けてきましたがいきなり
その線が切れて、
これからどうしていけば良いかもわからず、
またゆっくりと自分と見つめていきます。
読んで下さりありがとうございました!

また明日です!!
みなさん、お疲れさまです!
訳あって、今まで
兄の家に置いていたお骨を実家へ
連れて帰ってきました。
四十九日が済んでいないのに、と
家族で悩んだのですが、流石に兄が
可哀想な結末になりそうだったので、
私達の近くで四十九日まで
一緒にいます。
その後も母の心が癒えるまで
近くに兄をと思っています!
兄の考えてる事が読めて、
亡くなるまでずーっと一緒にいて、
顔色一つで心を読み取れる人なんて
私しかいなくて、
私にしかわからない兄がいる事が
寂しくて、みんなにわかって欲しくて、
共感してくれる人がいないのももどかしくて…
何が言いたいんだろ…
言葉にすると難しいんですね…
ぽっかり穴が空いてやる気が出ません。
【闘病1年半】私はかなり長く感じました。
毎日が濃くて、食事する気持ちにもなれず
こんなにも自分を疎かにして人に尽くしたのは
初めてだった1年半で…
だけど今思うとたったの1年半…
兄はたった1年半で逝っちゃった…
兄の闘病生活が、兄の顔が、
兄の話し方が今でも鮮明に蘇ってきて、
悔しくて涙が出ます。
もっともっとやりたい事や欲しいものがあって、
思い出を沢山残そうとしていましたし、
もっともっと長く生きるって言っていたのに…
日記を書きながら何回泣いたことか…

今も涙が止まりません。
兄が実家に帰ってくる前は
実家にも遊びに来るかもしれないし
位牌があったので毎日3食、
兄の好きなものを母と並べていました!
とにかく豪華に、兄が四十九日を無事に
迎えられるように、盛大にしたい!
兄が帰ってきてから初めて、
花選びからお花を生けました!!
生けた事が無かったので苦戦しながら
兄の事を思いながらやりました!
お花の高さや色合いがむちゃくちゃ
難しかったですね…
懲りずに次も挑戦します

兄に
【センス無いな~】と言われていそうです
私たちは無宗教なので、
全て気持ちで動くと家族で決めました!
兄に対してもですし、周りの方々にも…
人情に厚い兄だったからこそ、
合っているな〜と思います!!
たくさんのいいね👍
本当にありがとうございます。
みなさんがいて下さるから、
私も頑張ろうと思えます。
兄が大好きな妹と
ちょっとツンデレな兄を想像してもらえると
嬉しいなぁと思います♪
少しずつですが、
今闘病を頑張っておられる方々に
1日でも長く幸せでいてもらえるように
兄の闘病生活を振り返って
こんな事がよかったよとか、
こんな症状も出てたよとか
載せたいと思います。
私自身その時は精一杯で
中々具体的な話ができてなかったので、
思い出しながら綴っていきますね!
読んで下さりありがとうございました
また明日です!
みなさん、お疲れさまです!
まだ兄の死を受け入れられていないのか、
お酒を飲んだら泣いて、泣きながら
悔しい気持ち、もどかしい気持ち悲しい気持ち
もっと兄に言いたかった事、
後悔が込み上げて来て
ごめんね、ごめんねって謝ってしまいます。
そして
普段は、兄のことを考えると頭が思考停止し、
ぼーっとしてしまいます。
このサイクルがかなりしんどいです…
亡くなられた遺族の方々の
心のケアも大切だと私は思いました。
亡くなったら終わりではない。
もちろん労力的な所は軽減するかも
しれませんが同時に亡くなってしまった事の
心の傷が増えてしまう。決して
楽になったとは言えません。
いつかふら~っと兄が帰ってきて、
お酒とお土産をどっさりと
【買って来たで~!】って、言ってきそうで…。
悲しいです。
寂しい。悲しい。
一生死ぬまで兄に会えない。
声も聞けない。話せない。と思うと
ほんとつらい。つらすぎます。
1ヶ月前は兄は生きてたのに…。
もっといっぱい私から話しておけばよかった。
2人の時間をもっと大切に兄と
話せばよかった。と後悔が残ります。
妹2人を大切にしてくれた。
お父さんの代わりをしてくれた。
家族を大切にしてくれた。
波瀾万丈な母を見捨てず助けてくれた。
身内を,家族のように思ってくれた。
やっぱり会いたいです。
もう一度でいいから、話したいです。
【今寂しく無い?】
【ご飯毎食出してるけどちゃんと食べてる?】
【タバコ1日一本やけど吸えてる?】
【食べたいご飯ある?】
【お父さんと会えた?】
【お兄、最後私側にいなくてほんまにごめん】
もっともっと言いたいです。

「お兄は死なない」と私の中で決めていました。
想像もできなければ、元気な兄がどうやって?と
現実的にイメージも出来なかったんです。
なので、
兄【俺もうあかんのかなぁ?】って言われた時、
兄に【お兄は死なないよ!】って自信満々に
言いました!
兄はそれを聞いて、
【え?あ、うん、頑張らなあかんな!】って…
びっくりしていて…
その時私は、
【お兄覚悟してる…】って思いました。
いやいや、絶対大丈夫!
そんなの遥か未来の話だと思い直しました。
兄の口癖は、
【気合いと根性や!】でした。
これは、私たち兄弟3人が小さい頃、
母と父から教わったどんな時も、
負けない。挫けない。逃げない。と
自分に言い聞かせる言葉で、
私たちはこの言葉で今まで、辛い時も、
踏ん張らなきゃいけない時も心に
唱えて頑張って来ました。
兄が体が痛くて辛い時も、
常にこの言葉を言っていました。
本当に強い兄でした。
人の死とは、
こんなにもあっさりと全てを奪われてしまう。
時間は待ってはくれない。
ならば生きてることにもっと
フォーカスしなければ割に合わない!
もっともっと自分を大切に大胆に
生きること。人との繋がりは宝だと
兄は学ばせてくれました。
兄が残してくれたもの全て、
私は大切に大事にしていきます。
読んで下さりありがとうございました!

また明日です!

