みなさま、こんにちは!
GWですね〜
私は昔から、この季節の太陽の光が大好きです。
さてさて、「テーブルマナー」と聞いて、皆さんはどんな印象を持ちますか?
私は、
「所作が素敵な人には憧れるけど、見た目にこだわる必要もないかな〜」
「所作が美しいからって、それを自信にするっていうのも違うかな〜」
なんて思っていました。
実は、マナー教室に通うか検討したことが何回かあるのですが、
「見た目を整えるのは本質ではない気がする(…それに、活かす場面が無い気がする笑)」
という理由から、いつも受講を見送っていました。
ペンキ画家のSHOGENさんが
「かつての日本人は、両手で水をすくう時の手の形にすら気を配っていた」
という内容のお話をされているのですが、
「所作ってそんなに大事かなーー??」
なんて思っていました。
所作やマナーというものに、違和感を感じていたんですよね。
でも、先日ふと気がついたんです。
所作に気を付ける、ということは、
「いま、ここ」を味わい尽くしているということ
なんですよね。
人は、過去・未来について考えすぎる結果、余計なストレスを感じてしまいます。
未来のことを心配したり、過去のことを後悔している時、
「いま、ここ」を生きていないんです。
「早く洗濯物を終わらせて、マッハでスーパーに行って、子供が幼稚園から帰る前に掃除も終わらせないと!!!!」
と思っている時、
窓から差し込むあたたかな陽射しや、小鳥の鳴き声、蛇口から溢れ出す水の心地よい冷たさ…
そういった何気ない「しあわせの種」には気がついていないんですよね。
つまり、これが「いま、ここ」を生きていないという意味です。
では、「水を両手ですくう時、その手の形にすら気を配れる」時、
どんな心地でしょうか?
「マッハでスーパーに行こう!」とはきっと考えていないはずです笑。
「今日も水の冷たさが心地よい」
「キラキラ光って綺麗だな」
「こうして生かされているんだな」
「ありがたいな」
そんな感情の時に「水をすくう手の形すら美しくしたい」と思うのではないでしょうか。
テーブルマナーも同じだと思います。
目の前の食事や、一緒に食事をとってくれる相手、素敵な器、その場所にいられる喜び…
そういった感謝の気持ちが溢れた時、自然と所作も美しくしたくなるんだと思います。
テーブルマナーは「形に囚われている」わけでは無いんだなと気がついた、
というお話でした♩
それでは、みなさまもごきげんな1日を!