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■本日オススメブランドは、ポールスミス (Paul Smith)
Paul Smith (ポールスミス)とは
ポール・スミスは、日本の男性ファッションの中でも絶大な人気のロンドンのブランド。
1982年に日本企業のジョイックス・コーポレーションが英国ポール・スミス社と商品企画、素材および販売などすべてのノウハウを提携し、1984年に第1号店、南青山に直営店をオープンさせ日本へ上陸。
日本のポールスミスは、ジョイックス・コーポレーションが提携しており、生産・製造において海外とは別に行っているため、ラインが異なる。
日本以外のマーケットで販売されているポールスミスは主にイタリア製で、日本の製品と比較すると素材やパターンメーキングにおいて差があり、価格も日本より高い。
ポール・スミス氏は、1946年7月5日イギリス・ノッティンガム生まれ。
自転車競技のレーサーをめざし、15歳の時学校を自主退学するが、事故により、レーサーへの道を断念。退院後、進路を断たれ、なす術もなくパブに入り浸っていたポール・スミスは、パブに出入りするアートスクールの学生たちと仲良くなり、アートの世界の魅力にしだいにひかれていった。彼らのオーガナイザーとしてあれこれ仲介役をしていたが、17歳の時に、さまざまな仲介を自分自身の仕事にすることを決意。
20歳の時に、ロイヤルカレッジでテキスタイルの教師をしていたポーリーン・デニアと同居。
彼女には、2人の子供と2匹の犬がおり、ポール・スミスは家族全員を養うため、これまで以上にあらゆる仕事をこなすようになる。
ノッティンガムのテーラードの店員をメインの仕事としていたポール・スミスは、少しでも多くお金を稼ぎたいと思い、店の主人に自分の店を持ちたいという話を訴え続けた。
熱心さに押された主人は、その店のバックルームを自由に使わせてくれることになり、ポール・スミスはすぐさまショップ作りに取りかる。月曜から木曜までは従来通りあらゆる仕事をこなし、金曜と土曜は自分のショップで商品を売った。当初は、オリジナルと呼べるものは、ポーリーンが縫ってくれた数本のネクタイくらいで、ほとんどはポール・スミスが自分で探し回って仕入れてきたわずかな商品だった。
1970年、24歳の時にポール・スミス リミテッドを設立。
1974年、「ブラウンズ社」に、専任のコーディネーター兼デザイナーとして採用される。自分のショップを経営するかたわら、3年間同社の買いつけとブラウンズブランドの商品デザインを担当。
ノッティンガムのショップは、「ブラウンズ社」での活躍などによるポール・スミスの噂の高まりとともに、顧客の数も増し、月曜から金曜までフルに営業するほどになっていた。そこで同じノッティンガムでもう少し大きいスペースを探し、そこに店を移転。このとき、初めて自分自身のオリジナルブランドを作ろうと決心。
手始めにシャツ工場に、自分のデザインで自分のブランドロゴ入りのシャツを依頼、出来上がってきたシャツを自ら売り込みに回った。初めて買ってくれた客は、バーニーズ・ニューヨーク のオーナーの息子だった。宿泊しているホテルを聞きつけて押しかけ、一枚ずつ説明する熱心さに感心して、200枚の購入契約をしてくれたのだった。
2008年5月、マンチェスター・ユナイテッドフットボールクラブへの公式スーツ提供で契約締結(3年間)。マンチェスター・ユナイテッドが、このようなパートナーシップを提携するのは初。
2009年4月10日、Project 10シリーズが2009年春夏よりスタート。
Project 10は、ポール・スミスが提案する「新しいモノ作り」を意味するプロジェクト。
10個限定の商品を1ショップで発売していきたいというのがProject 10シリーズ。今回は、ポール
・スミスバッグから、コットンに転写プリントを施した人気のシリーズ、「プリントコレクション」のショルダーバッグを日本国内138ショップ(全国のPaul Smith SHOP、Paul Smith COLLECTION SHOP、JEANS SHOP及びONLINE SHOP、JEANS ZOZO SHOP)で、それぞれ異なるプリントを使用し、各10本のみ、発売します。
公式サイト
ポールスミス (Paul Smith) http://www.paulsmith.co.jp/
