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■本日 オススメブランドは、ジョルジオアルマーニ (GIORGIO ARMANI)

 

 

1934年11月、イタリア北部エミリアのピアチェンツァに生まれる。医者にな るためにボローニャ大学で医学を学んだが2年で中退。20歳頃の兵役やサラリーマ ンを経て、ミラノ最大の百貨店リナシェンテにウィンドードレッサーとして入社。紳 士服のバイヤーも担当したが、男性服を手がけたことがファッション界に入るきっか けになった。

 

その後、ヒルトンに出店していたニノ・セルッティの紳士服専門店「ヒットマン」でアシスタントのデザイナーとして雇われる。さらに、ウンガロとゼニアでの仕事を経て、1968年に建築家セルジオ・ガレオッティを知り、独立を強く勧められる。アルマーニは、2年後の1970年に独立し、フリーランスのデザイナーとなった。

 

さらに、75年にはセルジオ・ガレオッティとの共同出資でプレタ・ポルテの自店「アルマーニ」(GIORGIO ARMANI S.p.A.)社を設立。資本金は1万ドルといわれている。この自店以降、男性の紳士服のイメージやスポーティな感覚を婦人服に生かす手法、とくにジャケット作りにかけては高い評価を得た。スポーツ時代の今の感覚をとり入れた婦人服に新境地を開き、開店後わずか3年で「ジャケットの王様」とよばれるようになる。

 

80年代になると、若者向けセカンド・ラインの「エンポリオ・アルマーニ」とジーンズ・ラインの「アルマーニ・ジーンズ」を発表(81年、デザイン担当は主に姪のシルヴァーナとロベルタ)。この頃に、「モード界の帝王」や「ミラノの3G」とよばれるようになる。82年に女性用の香水、84年には男性用の香水を発表。85年にセルジオ・ガレオッティが白血病で他界してからしばらくの間停滞したが、86年にノットゥルノ電話(イタルテル社製)を発表。

その後、87年には「ジョルジオ・アルマーニ・オッキアリ」(メガネ)と「ジョルジオ・アルマーニ・カルツェ」(靴下)を発表し、無事復活を遂げる。

 

90年代には、アメリカン・カジュアル(アメ・カジ)をいち早くモード界に取り入れた「アルマーニ・エクスチェンジ」(A/X)をオープン(91年)。このブランド名はアメリカ軍の売店「P/X」をもじっている。95年には、「ジョルジオ・アルマーニ・ゴルフ」や女性用香水「アクア・ディ・ジオ」などを発表。翌96年には男性用フレグランス「アクア・ディ・ジオ」と男女用フレグランス「ジョルジオ・アルマーニ・クラシコ」を発表、香水部門の拡大が特徴的である。

 

2000年秋冬コレクションからは、ビジネスラインとしてメンズとレディースを統合した最新のレーベルとして「アルマーニ・コッレツィオーニ」を発表。

 

なお、クリスチャン・ディオール以来はじめて、『タイム』誌の表紙を飾ったデザイナーとしても知られる(1982年)。また、80年にリチャードギア主演の『アメリカン・ジゴロ』で衣装を担当して以来、映画男優・女優のデザイナーとしても多彩な能力を発揮している。

 

彼の作品は、70年代半ば以降に人気が出たエグゼクティブな男女向けのスーツが代表的である。

男性服出身デザイナーだけに、仕事着が本領なのである。日本でブランド志向の高まった80年代に、アルマーニ現象として登場したことは記憶に新しい。また、セカンドラインにも定評があり、80年代後半には「エンポリオ・アルマーニ」のヒットには「アル中」という用語が造られた。しかし、近年のブランド衣料の品質低下の例に漏れず、90年代以降の「アルマーニ」ブランドの拡大は「アルマーニ・ケース」とよばれる家具やホーム製品など、もっぱら衣料以外の部門が中心となっている。

 

ョルジオアルマーニ (GIORGIO ARMANI) URL: http://www.giorgioarmani.com/