今日は寒いですね!

皆様どうか風邪などひかれませんよう、ご自愛ください。



さて、除雪は、やはり各自治体によって「目標」が異なるようです。何種類か(何段階か、の方が正しいかも)の除雪目標が設定されていて、それを指標に除雪を行っている模様です。路線バスの頻繁に通る道が、時間軸的にも内容?的にも最優先になっているのではないでしょうか。ちなみに、秋田では様々な種類の除雪車を236台所有しているとパソコンで発見しました笑。多いような少ないような・・・微妙。



それに加えて、散水やロードヒーティングのような消雪施設には方式や様式が多数あり、例えば散水式のものだと、撒く水の種類もさることながら、その設備が稼働する条件としての道路や外気温の設定が細かく設定されてたりするみたいです。

まぁ結論としては、地方自治体によって、除雪状況が異なるのは当然である、ということでしょうか。


私はもう、除雪については満足しました笑。



そうだ、私、先日iphoneデビューしたんですが、通勤とか昼休みとかで、文庫本をモリモリ読んでるんです。遠い昔に読んだ切りになっていた文庫とか・・・改めて読むと本当に面白くて。今日は夏目漱石のこころと、太宰のヴィヨンの妻を読みました。こんな部分あったっけ?とか、あれ~こんな場面あったんだ?とか・・・結構忘れてるもんでびっくりです。また違った内容の受け止め方をしている自分がいます。



私は時々思うのですが、あるアーティストが作詞した内容が、時に片思いだったり、遠距離恋愛だったり、はたまた失恋だったりするじゃないですか。で、それが、「これは彼(彼女)の本当の実体験じゃなかろうか?」とか「今、彼(彼女)に怒っている出来事ではないだろうか?」と思ってしまうことってありますよね?

何がそう感じさせるのかは分からないのですが・・・。同じような歌詞でも、思うときと思わないときがあります。思ったからどっちが好きでどうのこうの、ということではありませんが。



で、太宰治って、スキャンダラスで破天荒で、だからこそものすごくカリスマのあった作家だと思うんですが、彼は、作品において、実体験をそのまま赤裸々に綴っているに違いないと心底思ってしまって仕方ないんです。

これは、程度の問題で、流行の作詞家が恋物語を作詞して、うーむこれはリアリティがある!、というハードルではなく、全くもってあり得なそうなシチュエーションや全くもって居そうもない人物が、すぐそこに、自分の周りにいそうな気がするのですよね。


なぜこんなにも、全てがリアルなんだろうかとふと疑問に思うことがあります。

そんなダメ人間居るわけないでしょ、と思うような設定の登場人物でも、ないないそれはない、というようなあり得ないような状況でも、気付けば全ての場面ががリアルに、身近に感じられませんか?


私がダメ人間だからそう感じるのかな~と、本気で今日思ってました。



創作活動全般について、その作品にその人の実体験が表現されているorいないを基準にした場合、作品自体の客観的な評価や意見(専門家の意見)と、それを受け止める側の一般大衆の好き嫌い(売れる、売れない)に、一定の関連性というか傾向はあるんでしょうかね?法則があってもおかしい気もしますが、まぁそこがものづくりの面白いところなのかしら・・・その風穴がマーケティングなのかなんなのか。

実体験を綴った歌詞が若者の共感を呼んで売れている歌姫がいますけど、私はなんとも思わないですけど・・・むしろ人工の香りがプンプンするのに、若者はどこに共感してるの?と思ったり・・・。


冗談でもなんでもなくて、よっぽど、浮世離れした太宰作品の登場人物の方が共感します。愛しく思いますね。・・・これは年のせい?なのか?違うな。小さいころからそうだったから。



ただ、「これは創作者の実体験ではないか?」と思わせる内容は、創作者のカリスマ性があれば、それと相まって作品自体の魅力を倍増させるということは1つ言えるのかも。カリスマ性がなければ、赤裸々に実体験を綴ったところで、単にへぇ~とか、珍しい人とかはいあなた変人ですね、とかで終わりそうだし笑。



でも、作品の内容も人々の実体験も、受け止める側にとってのカリスマの在り方も、言ってみれば千差万別ですもんね・・・。



要は↑こういうことをああだこうだと色々に感じる人が沢山いるから笑、世の中にはたくさんの芸術が存在するわけですよね。


それは大変、素晴らしいことです。