先週、亡くなった母の誕生日だったのですが、ふと弟とメールしていて思い出したことがあって・・・ちょっと今日は、話し言葉で・・・ですます調で書きます。楽なので。



私が小さい頃、自宅の側に、身体障害者の施設があったんです。小学校の高学年になる頃には、別の場所に移転してしまったんですが・・・。

ネットで先ほど調べてみたら、「(その施設は)、肢体不自由児施設として、上肢、下肢または体幹の機能障害のある児童を治療するとともに、子供が健やかに育つように援助する所です。医療法に規定する 病院としての機能を備えており・・・」と書いてありました。

もちろん現存している施設です。



病院としての機能うんぬんと書いてありますが、その通りその施設には、障害児の訓練・養護・入院施設の他、通常の小児科(外来)があったんですね。

で、そこに大学病院の小児ぜんそくの権威の先生が週に1日いらしていたこともあって、私は小児ぜんそくだったものですから、結構長い間定期的に通っていたんです。



通院に行った日、施設のお友達と遊ぶのはもちろんのこと、その学園では何カ月かに一度、地域の人と共同でバザーや親睦会のようなものを運営していました。私も母も弟も、当たり前のようにそれらの行事に参加していました。もちろん、参加している同年代の子供は私だけじゃなく、私と同じ小学校に通うお友達も、何人かはいました。



いつの日からか、私の小児ぜんそくも改善し、高学年になるにつれて発作もほとんど起きなくなりました。母が非常に研究熱心な人間だったことと、身近なところで素晴らしい先生に偶然に出会っていることで、中学に入る頃には、ほぼ完治したため、その病院に通うことはいつの間にか無くなりました。

あ、ちなみに、私はアトピーもあったのですが、これも、実家から近い皮膚科の先生がこれまたアトピーの権威の方で(ネットで調べると西の○○東の○○の片方と称されているくらい有名な方なのですが)、小さい頃からずっとそこに通っていて、これまたアトピーも跡形もなく、小学校低学年で完治しています。アトピーの名残り的なものは、一切ありません。



脱線しました。

で・・・中学になって部活が忙しくなって、高校になって勉強が忙しくなって・・・大学で上京してそのまま私はここにいますが、母は本当に亡くなる前まで、その施設の私のお友達のことを、よく話題にしていたんですね。

どこそこで○○ちゃんが働いてて長話しちゃった、どこそこで○○さんとお姉さんを見た、○○くんは結婚して白い車で毎朝ここを通るけどきちんとお辞儀してくれるのよ、○ちゃん(私の事)元気ですかと言ってたわよ、とか。

でも私は、彼女らに何十年も全く会っていないし、顔の記憶もおもむろで・・・そんなに深く聞いていなかったというか。恥ずかしい話ですが。



小さい頃に、何の垣根も無く楽しく遊んでいた素敵なお友達がいたのに・・・その当の本人は、成長するにつれて、忙しさにかまけ、どんどんそのお友達から疎遠になったということです。人生が肉眼で見える道のようなものだとしたら、どこかから、1本の道が、お互いの人生の道へと分かれていったんでしょう。

年齢、環境、様々な要因によって、お互いがずっと同じテンションで仲の良いお友達でいることが、自然的に難しくなったからです。故意ではありません。ごく自然にそうなった。今ならば、違う付き合い方があると思いますが、そのくらいの年代では、そんなに器用に全てのつじつまを合わせるのは、難しかったのかなと思います。自己弁護かな・・・。



で、うちの母は、おっとりしてるくせに「現在進行形」の感情移入タイプで、そこは非常に彼女の特徴的な部分だったのですが・・・どれだけ疎遠だろうが、年が離れていようが、偉かろうが、出会ったばかりだろうが、あまりそういうのが、人づきあいをする上で関係のない人だったんですね笑。

さっき久しぶりに会ったり、見かけただけの人のことを、今すぐにとても大事に思えるというか・・・相手に対する気持ちが一定なんですね。感受性?なのかな。上手く表現できませんが。例えば、電車で見送りしている人を見て、勝手にもらい泣きして、いつの間にかその人と意気投合してたりとか・・・。親戚中で集まって昔の話とか、お酒が入ってきて将来の話とかしている時も、たいてい真っ先に泣いてましたね。で、なんであんたが先に泣くのさって皆に言われてるという。見慣れた光景。



その母のアイデンティティを思い出して・・・あと自分の事を色々と省みて、今年は実家に帰ったら、子供の頃の年賀状引っ張り出して、そのお友達の皆に、年賀状出してみようかな~届くかな~とか、思いました。



だから、道がこう、年をとるにつれて色んな方向に分かれていきますよね、人それぞれ。

行く学校とか、選ぶ職業とか。

でも元々は1本の道だったはずなんですよね・・・。誰しも皆、同じ人間ですから。色んな分岐を経て、私は今、ここにいると。

それを思うと、環境や仕事や家族、恋人、今の私の周り全てが奇跡的だなぁと思うのです。分岐を1万回くらい繰り返して、今一緒にいる人や環境ですからね。



あと、必要な時に必要な出会いが勝手に降ってくることって結構あるじゃないですか。

多分、今私が、そのお友達に年賀状を出そうかなと思ったということは、今私が、そのお友達を欲している、ということなんですよね。



あ、最後に1つ。

母はガンになって、意識も朦朧として来てそろそろかなぁってなった時、呼んで欲しいお友達を私に言いました。

誰々と誰々と誰々を呼んでくれ、と、はっきりと3名の方の名を述べました。

今思うと、これがまた意外だったんですよ。町を行き交う万人に感情移入している人だと思っていた母が、土壇場で3名だけをチョイスしたというその事実に、驚いた覚えがあります。


何を思ってその3名にしたんだろう?

そして呼んだその方たちと母は、単に、昔の思い出話をひたすらしていました。



思えば母は若くして亡くなりましたが、こうして亡くなってからも、話題に事欠かず・・・あぁ今度は、沢山後悔していることがあるので、それを書いてみようかなと思います。



干物女の件を書くのをすっかり忘れました・・・

私、干物女かもしれないので(しつこい)、また今度書きます笑。