人は目の前に死が迫ってくると、時間というかけがえのないものの重みに気付き、その残り時間の短さに、あらためて愕然とするらしい。(そりゃそうだ!)

そしてもし、その人の長い人生の全てが仕事中心となっていて、自分の人生のハンドルを、自分自身で握ってこなかった、という厳しく寂しい現実に気付いたら・・・一体その時、どんな感情が人を襲うのでしょうか?


・・・ってネタノートに書いてあった。

なんでそんなこと思ったのか忘れた・・・ホスピスの本を読んだ後だったかも。

どんな感情か今全く想像できなくて、それは私にしては結構珍しいことだから、書いて残しておきます笑。


さて、新卒で務めた会社の得意先に、女性の副社長がいた。

彼女は、非常に時間に正確で、厳しい方だった。というか、なぞなぞ人物だった。

私は正直言うと、「時間」や「時間軸」に対する考え方はなるべく近くないと、仕事を一緒にする際は結構大変なんだなぁと、当時実感していた。


なぜなら、彼女は単にパンクチュアルということではなくて、例えば自身のスケジュールに関して、「基本的に何事も早めに切り上げるに越したことが無い」という価値観だったのだ笑。彼女にとって、事前に設定してある会議の開始・終わり時間は、あくまでも「目安」でしかない。

会議の中身もスーパー簡素&無機質な感じで、一瞬聞いてダメ出し→何をいつまでに、を決めて次の会議日程を一応決めてはい今日は終了!さよなら!みたいな感じ。その10分会議が、毎回無意味に繰り返される。


これは結構問題だ。

度が過ぎると、周りは常に、緊張と焦りを持って毎日を過ごさなくてはならない。良い案を一生懸命時間を割いて吟味しよう、色んな人と調整してからプレゼンしようとしても、2週間先の会議が数日おきにどんどん前倒って設定されてしまい・・・気付けば、え~いきなし明後日になってるし!みたいな。

予定は常に立たず、良い話し合いもできず、急かされて焦ってやっつけ仕事をしているだけの日々・・・結果的に、手間暇や精神的負担の割には、得意先としてそんなに大口ではなかったため、私の会社が彼女の会社と長い間仕事をすることは無かった。


多分、近い感性を持ったもの同士が多くないと、会社という共同体において、良い結果を出すことは、難しいんだと思う。

小さい会社ならなおさら。彼女は時間に対する考え方が、あまりにも人とかい離していた。


今読んでいる勉強中の本に書いてあるのだが、車のハンドルの生産工場の話がある。

生産したハンドルに、数ミリ~数センチのズレがあっても、責任者はラインを止めない。なぜなら、その程度でラインを止める方が、損失が大きいからだ。物事には、許される誤差、というものが存在する。というより、対象となるある数値は、何らかの理由によって、少々のバラつきが出てしまうものだ。それは当然のことだと、断言されている話。


これは、目標やゴールを設定して、それを達成できるかどうかを分析することの無意味さを説いている。極論で言えば、「何かに達しているか否か、何かに合っているか否かを議論すること」は、「運の良し悪しだけを議論していること」になると。


最終結果は、過程から導かれるものだ。

ゴール時に、外側だけ辻褄が合っても、その過程がスカスカならその物事自体にあまり意味は無い。差異の要因を様々な角度から議論し分析し、状況や結果を、今起きている変化から検討する方が、よっぽど本質が見える。


だから、旗振り役の彼女がすることは、時間を急かしたり前倒すことではなく、むしろ、時間をかけて内容を吟味し、議論を促すことだったのではないか。


まぁ確かに、議論には結構な時間がかかりますけどね・・・心に余裕が無いと、そういう判断はできないし。すぐに成果を出していかなくてはならないトップの立場で、余裕を持って物事をさばいていくのは、大変なことなのでしょう。

私などには分からない苦しみがあるはずですから。

っていうか、今思えばあの斬新な感じは、味わっておいてよかったというか。


私も仕事的には・・・現場って、どうしても作業をするときに、頭数にせよ時間にせよ、必要以上のマージンを取る(余裕を持って考える)くせがあるんですよね・・・それを知っているから、本来こちら側である程度イニチアチブを持って、客観的な外的情報に基づいてガッツガッツ締切決めて、スケジュールもコストも厳しくモニタリングをしないといけないんですけどね。儲けたいなら。で、発生した問題やズレの詳細を全て記録し、改善案を議論してもらい、色んなリスクのパターンのサンプルを少しづつ増やすと。


まぁ、そんなの全然やってないですけども笑。

結果より過程を大事にしているということで。違うか。


あれー?なんか後半グダグダになってしまったー!


なかなか上手に書けないので、もうお風呂入ります。


あ、そうだ、私、「干物女」かもしれないんだった!!

それはまた次回書きます。