昨日あたりから身体の動きが滑らかになって来た私。だからお姫さまライフから少し脱却してお皿洗いを出来るようになった。
怠け者の私も日常に戻ろうとする生命力に突き動かされるみたいだね。
それでもまだ胸の辺りはテーピングされているから大人しくベッドの上に座って映画や動画鑑賞に勤しんでいるの。
実は最近ハマってしまったのはYOASOBIだ。あの子達のコーチェラライブに参加していたから初めてちゃんと聴いて、あら凄いってハマったのよ。
流行った曲はサビしか聴いていなかったからなんか初音ミク的な感じだと思い込んでいた。でもよく聴くと凄い壮大な音楽の世界観なんだけね〜。
若者相手の感じのストーリー展開だけどよく聴いていると耳障りの良い言葉は繋げていくとかなり奥が深い。そして音楽は交響曲みたいに構成されていて、でもボーカルの甘い声が壮大な世界観を柔らかくしている感じ?哲学をお伽話にすり替えるみたいな?それにしてもこの曲作る人天才?モーツァルト?だって作詞作曲編曲って一括りするアーティストなんて世界にいなくない?
ただMVは画面をしっかりと観ないといけなくて数曲でおやすみしたわ、だって小説並みに内容が濃くて消化するのにエネルギーがいるよ。だから幾つか映画を観て辿り着いたのは懐かしのハイジなのだ!
イタリアでも放送されていて何度も観たけどAmazonprimeでは日本語で観れるのよね。久しぶりの日本語版のハイジを観ているけどかなり長くて今はハイジがアルムの山に帰るところよ。
それにしても50年以上前のアニメだけど映像の美しさに驚かされる。それにね、お話の展開にも考えさせられる。最初ハイジがフランクフルトの寝室で目が覚めた時に
穴の中にいるみたい
と言ったセリフには驚いた、正にだよね。
それにハイジが山で出来る事をいっぱい語る時にクララが街では本を読んで色んな世界に行けると語った時の対比にも考えさせられた。学ぶって何だろう?ってね。実体験か机上の空論か、教育ポリシーにも繋がる疑問だ。
大人向きとか子供向きって無いんだな。ただある時は幼い子や若い人の視点でシンプルに語った方が変な飾りがなくて響きやすいのかな?なんて思ったわ。
そうそう、フォレストガンプも観たんだよね。人間難しい事をシンプルに子供にも分かりやすく伝える方が難しいし、更に研ぎ澄まされて素晴らしいものへと昇華するのかしら?なんて思ったよ。
理屈ばかりで色んな言葉で化粧する文化の中でYOASOBIとハイジから何かしら学んだ気分の私なんだ。
実は私のイタリア生活もある意味幼児的なんだ。難しいアカデミックな言葉は知らないから子供レベルのボキャブラリーなんだけど、ただある意味真実しか言わないスタンス?自分の言葉は感情にストレートでかえって気持ちが良いんだよね。
晴れたから気分よく過ごせた昨日。
夕食はおひとりさまで
前夜の鳥の煮込みにインゲンのサラダをプラスした宴!
気がつけば夕日がフィレンツェの雲をうっすら茜色に染めていた。
そして
久しぶりにお月さまにも出会えたの。
その後はリハビリストレッチに足のストレッチをしてハイジを観て早々に寝落ちした。
そして今朝再びハイジを観る。
初めてもらった手紙は誰から?
多分これからはハイジとクララが文通するのよね?
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