昨日はDomenica delle palme キリストのエルサレム入場の日曜日だった。
街行く人は殆どの人が祝福されたオリーヴの枝を持っていた。あら、祝福のオリーヴ割と人気があるんだね。
仕事はそこそこに忙しく、倉庫に靴を取りに何度も行ったり来たりした。自分が整理している倉庫だから頭の中に在庫状況は割とインプットされているけれど、さて、果たして私は術後もこんなにテキパキ頭も身体も動かせるのだろうか?
今迄健康だったから頭と身体の動きは連動していた。売り子の仕事って面倒くさいって思うのが1番ダメなんだよね。常に笑顔でやれる事だけはやる。手抜きしたらやっぱり上手く売れなくなる。私は術後の治療や服薬している時に今の様にベストを尽くす事が出来るかな?
今いちばん気をつけなくてはいけないのは私は可哀想だって思わない事。そういう思いって人と比較したりして僻みとか甘えが生まれそうだからね。
私は術後も今の様に笑顔でいられるのかしら?私は本当に強いのだろうか?なんか要らぬ心配をいっぱいしてしまう。
私の母は厄介な癌になってしまい寛解せずに再発してしまった。結局母は闘病生活を半年以上強いられたんだけどその様子を看護師さんから聞いていた。
よく夜中に泣いていた事があったらしく
死にたくない
と言っていたらしい。
かなり辛い病気で痛みもあったし毎日発熱していたんだ。それでも死にたくないと母は言っていたらしい。
私は父親っ子で父を尊敬していたけれど闘病生活で父と母の違いを見せつけられた。
父は初期の癌なのに死ぬかと思い手術前に好きな事をしまくり体力が無くて術後肺炎であっけなく亡くなってしまった。けれど母はかなり珍しい癌になり寛解率がかなり低いのに死にたくないと頑張っていた。そう、母の方が強かったんだ。
私は一体どちらに似ているだろうか?それとも2人とは全く違う感じだろうか?
人生多分最大の困難を目の前に自分の資質が問われている気がする。
ただ変に頑張ろうとか思いたくない。変な我慢とか意地とか張るのは良くないなって思っている。それは思いのほか癌に対して優しく接してくれるイタリア人に囲まれているからだ。
今迄公共の場では理不尽に扱われたりたらい回しの刑になったりして来たからイタリア人に対する信頼はあまりなかった。
ただ今回医療機関の人達のサポートが手厚くて驚いている。自動販売機すらお金だけ取ってサービスをしないイタリアでまさか癌だからこんなにスムーズに事が運ぶとは!
だから委ねても良いのかな?なんて思ったり出来る。これからは今の様では無くなるのかもしれない。そんな時に鮎原こずえでいても仕方ないじゃないか。等身大の自分を受け入れて自分らしく闘病生活していきたいな。
お月さまが雲隠れしたかと思ったら
夜空が晴れ上がった。
夕食は
ピッツァの宴!
実は仕事中に彼からピッツァでいい?ってメールが来ていた。ただセールストークを20分ぐらい英語でしていて返信出来なかった。
私は術後も動きながら20分もセールストークなんて笑顔で出来るかな?毎日色々手術や術後をシミュレーションしているけれど、昨日は術後の自分を想像していた。
朝は晴れていたのに昼間は急に雨が降ったりとクレージー3月らしい日曜日だった。でも晴れたからお洗濯をしながら夜のストレッチ&マッサージをして洗濯干して眠りにつく。
今朝は青空が広がっている。
昨日教会で頂いたオリーヴは
雲の上荘を見守っている。
実はこのオリーヴは教会から親分が貰ってきた。ただミサの途中でまだ祝福されていないんだって。
ただ一晩教会にあったんだから割と祝福されているだろうという考えで一致してこのオリーヴくらいで丁度いいって持ち帰って来た。
だってね、ちょっと病気になったからって神頼みとかしたくないかも。人に頼るけど宗教には頼りたくないかしらね?だって病気は科学だから、変に宗教に頼って変な方向に進みたくないよ。
母は占いとかにハマっちゃって父の運命も占い頼りだった。だけど私の命は私と医療機関の人が管理するんだ。だから変な事に惑わされたくない。
そう、自分が弱くなって自分で無くなってしまうのが怖いんだ。
術後シミュレーションをしながら自分はどれだけ強くいられるか想像しながら、少しずつ自分の病気を受け入れようとしているみたいね。そう、私はまだ癌って何かの間違いじゃない?って思っているのよね。
痛みとかしこりでもあれば病気って受け入れられるんだろうけれど幸い早期発見でラッキーなんだけどね〜。なんか未だにピンと来ないのよ。
それでも色んなシミュレーションをして心の準備をしつつ病気を受け入れている私から、最後まで読んで下さった方々に感謝を込めてBACI BACI
散歩は朝派?夜派?
夕日とお月さま愛好家の私は前のお家では夜中に庭園を徘徊していたよ。
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