久しぶりに閑古鳥がなく日々、ただピッティウォーモの残党が割といるからなんとか乗り切っていた。


そういえば先日日本からのピッティウォーモのお客様がいらした。イケおじの上司と若い社員さんだった。その若い社員さんに


お仕事でイタリアだなんて良いですね。


と言うと


いえ、仕事ですから


って冷めた答え。



そこでつい余計な事を喋ってしまった。。。


大人と旅行出来て違う視点で旅が出来て勉強になるじゃないですか?経験豊かな人の視点や拘り、流儀を身近で学べるなんてラッキーでしょう?


って言ってしまった。。。殆ど説教じみていたかも。。。



ただね、言った後に自分で妙に納得したというか正論かな?なんて思ったりもした。


私は父という師匠がいたから幼い頃から父の流儀を沢山学んだ。父は教育も独自の流儀があって18歳の頃には父が何処に出しても恥ずかしくない様なレディへと徹底教育をしてくれていた。



ファッション、マナー、勉強などなど、父の流儀で彼の理想のレディになるべく色んな事を吸収していった。



そういえば英語の受け答えも父はうるさかったな。電話ではとにかく余計な事は言わずに簡潔にOne momento please と言う事。Thank you と言われたら  It’s my pleasure と答えるとスマートだってね。正しい表現が分からないけど私はこの返答は気に入っている。そういえばレストランから出るときにフランス語圏ではJu suis contente と言えと教育された、満足したって言う意味だと思う。Merci ありがとうだけでは不粋だと思っていたんだと思う。そう、父は言葉を教えてくれたのではない、マナーを教えてくれていたんだ。



今更ながら私はラッキーだったなって思う。だって父が人生で学んできた事を若い私に伝授してくれたんだもの。要は人生先回りしたって感じかしら?私の年齢では知る事が出来ない事を沢山教えてくれたんだから。



もちろんそれを自分のものにするかは私次第だよね。私は私の流儀でその教えを吸収して私という人間を形成したと思う。



ただ私の父みたいに幼い頃から流儀を説く親なんて少ないだろうから大抵の人は社会に出てから上司とかまわりの大人から学ぶでしょう?だからこそ先日あった若者の何となく冷めた感じが気になったんだ。



もしかしたら単なるポーズだったのかも。ただ仕事だから、なんて冷めた気分は勿体ないなってね。それを上司の前で示すのも失礼だなってね。逆に出張で仕事以外にも観光やショッピング、食事と大人のイケおじと行動して何かしら流儀を吸収する良いチャンスって事で胸を躍らせていて欲しいって思っちゃったんだよね。



ただね、その若者すら今の若者に対して苦言を呈していた。



最近は欲しい物が分からなくてショッピングもソーシャルで良いと言われた物を買うってね。成る程、情報が溢れているから情報に流されるんだね。私みたいに父の流儀を伝授されて鍛えられて成長すると欲しい物にスポットライトが照らされているみたいに直ぐ見つかるんだけどね。私もいよいよアラ還からアラが取れる歳となり、自分が好きなもの、自分に似合うものは分かっているからね。だから欲しいものへの感知は素早いんだ。



実際先日のイケおじも素早くお買い物をされた。流儀のある人って好きなものを知っているから本当に買うのが早いのよ。その事も若者に伝えたよ。





小雨の降るフィレンツェ





ピッツァの宴を楽しみながらフィオレンティーナの試合を観戦する。



相変わらず頭の固い監督のフォーメーションで前半は苦戦したけど後半は盛り返し、でも結局は引き分けでちょっとがっかりだったよ。まぁいつものフィオレンティーナ、それでもまだ4位だから良しとする。



そして



クリスマスも明けてようやく予定のない月曜日の朝は久しぶりにブログを書く事に集中している、読む方には気の毒だけど。。。長いぞ、今日は!



好きないちごスイーツは?

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そっか、今日はいちごの日なんだ。という事はキャピトル東急のいちごフェアが始まっているのかな?


父とよくこの時期はいちごフェアに行ったものだ。まだ昔の建物で、和洋折衷で大好きだった。日本庭園に面したオリガミではいちごフェアになると壁中がいちごのドルチェの巨大写真で埋め尽くされていた。そのキッチュさも堪らなかったなぁ〜。


そういえば父には色んな所に連れて行かれた。私がイタリアでシニョーラのお供に食事に行っても全然大丈夫なのは幼い頃から色んな場所で食事をしてきたから。どんな場面でも臆さない図太い神経になれたのも父の教育の賜物だ。だからどんなVIPにも外国語で接客出来る。ただ唯一あがったのは。。。




この方に会った時、オーラが凄いんだよ。その時かなり緊張していて時の官房長官がお買い上げされた時にネックレス代だけ請求してブレスレット代を忘れてしまい後を追いかけられたらSPに止められた。訳を話し再度お支払い頂いたけれど、私って神経図太いかも。だってあれだけのVIP、目をつぶっても良かったかもね。



それにしてもあの時はめちゃくちゃ楽しかったなぁ〜。だってお客様が皆ホワイトハウスやそのお付きの報道陣でアメリカにいるみたいな気分で色んな方とお話ししたんだから。



あの時はシニョーラの娘さんから貰ったドルチェ&ガッバーナのスーツに身を包み、お店のジュエリーを身につけていたから自信満々だったのかもね。



今はしがない肉体労働者で、メルカトの服に身を包んでいるけれど臆さないのも自分が自分を認めている自己本位の自信に支えられているからだ。そう、外見なんかで囲わなくても負けないというか、私は一人前の人間だっていう自信が不思議にあるのよね。


よく考えてみると単なる自意識過剰かもしれないけれどやけに堂々としているのよ、私。。。そうね、自分が色んな名札を取り外してノータイトルで挑んだイタリア生活の結果は自分自身に表れているんだな。なんかあの若者に説教じみた事を言った後から色々考えた末に答えが出た気分なんだ、イタリアに来た意味も経過も。。。


だからこそ、今の世の中の変な状況も何となく分かり始める。結局情報だけに踊らされて流儀が失われちゃっている?インフルエンサーとかの流儀の情報に躍らせれて自分の流儀を追求しないで時代の流儀に身を任せる人が増えているんじゃない?だから浮き沈みが激しくなるんじゃない?


最近は老害という言葉があって昭和のオヤジとか馬鹿にされる事が多いかもしれないけれど、先人の歩みからも学ぶ事は多い筈。ソーシャルからの情報で知った気になった若者には百聞は一見にしかずという言葉を胸に刻んで欲しい。


私自身も父に学んだ事は後に自分で体験して自らの肥やしにして来たからね。


父が亡くなってから自分の人生の土俵をイタリアに移動させて色んな人から学ぶ事で更に父の偉大さを痛感し、私は幸運な星の元に生まれたなってつくづく思う。


20歳の時に父が買ってくれたカシミアのマントは何故かアラ還の私によく似合う。あぁ、これが本当に自分にしっくりと着こなすのにこんなに時間がかかってしまったんだな。ただカシミアだから今でも新品同様なんだ。だからあの時買って貰って正解だったなぁ〜ってしみじみと思うのよ。


ある意味めちゃくちゃな父だった。首都高では華麗に運転させる為に車間距離を縮めてブレーキを踏むなって教えるし、幼い頃から離婚する為には手に職を持てと言うし、結婚しなくても子供だけ産んでも構わないと言ったり、20歳の頃には綺麗なうちにヌード写真を撮ってはどうか?と言っていた。門限には厳しかったのに有明のディスコに連れて行かれ踊れと言われても行った事がないから踊れなかったよね。会社員になった時、1万五千円をくれていつもお財布にしまっておきなさいと言われた。そして会社の飲み会があった時に誰かが送ってくれると言っても必ずそのお金で自分でタクシーで帰って来なさいと言っていた。男が狼である事も本人の経験からよく知っていたんだろう笑笑。そんな父の教えには父なりの流儀があったんだよね。そういえばGUCCIのカバンも色んなお洋服や宝石を買ってくれた父がお金をくれたのはあの時だけだった。お金は貰うものでは稼ぐものだと幼い頃から教えられて来た。だから私は割と高学歴なのにフィレンツェで下っ端の仕事をする事を恥ずかしいと思った事がなかった。お金は稼がないと手に入らないと知っていたからだ。でもそのおかげでフィレンツェで生き延びて来れたんだよね〜。


学ぶべきはやはり大人の流儀なんだってつくづく思う。今の若い人には老害という言葉を使う前に自分の成長の為に先人から何かしら吸収して欲しいって思う私から、最後まで読んで下さった方々に感謝を込めてBACI BACI!




普通はお母さんなんだろうけれど私はファザコンだからね。若い女の子の反抗期は父に対して辛辣と聞くけれど私は母に対してだったかも。。。御免なさいね。。。



BACIOとはイタリア語でキスって言う意味、複数になるとBACI、BACI BACIだとキスの嵐よ!みんなに頬っぺたチュッチュッとされただけで元気出ますよ!