娘たちが台湾旅に行って来た。
「行きの機内食」
中華焼きそばにパンなんだ。
「台湾上空に来た飛行機」。
あー、いいなぁ~、機上から見る地球の一部って。
この機場に降りる予定で、この半島みたい。
地図で探すのは楽しい。
「空港近くの風景」。
いかにもな建物。
「永和豆漿で小籠包と豆獎のランチ」。
なんか中華風!?
「迪化街散策」。
この街の感じって、
チェンクンの「脱身」で、
台湾に逃げてった時の街の映像みたいな~!?
「夏樹甜品というデザート屋で杏仁かき氷と豆花(トウファ)」
上の娘は旅に出るとかなりの甘党らしい。
ハワイでもびっくりしたけど、
下の娘も今回はビックリしたと。
「寧夏夜市」。
夜市って、電飾付いたらきれいかな。
「屋台のおじさん」。
こういう感じはアジアではどこも似てる。
日本だけたぶん椅子が違うかな。
ボンベとおじさんが並んでる~。
「夕飯の水餃子と肉麺?」
水餃子がでかい。丸い。
肉麺が、きしめんみたい。
よくチェンクンが食べてる。
ワタシもー。あはは。
「ホテルで台湾ビールとつまみにベビースターのような小王子麺」。
ビールにはベビースターも食べたこと無いけど。
「雨と霧の中九份散策で九份の入口」。
台湾というと、九份のトニーレオンの「悲情城市」と、
あとは、台湾茶の「阿里山」しか知らないかも。
金が採れたらしい。
「金採掘
その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。」
霧に霞む山や町を背景に下の娘の姿だ。
この時、フィリピンでは台風被害が起きていて、
台湾も雨が降ったりしたらしい。
「九份の有名茶屋『阿妹茶楼(昔の字)アーメイチャーロウ』」。
芸人のロケで馴染みになってる。
凄い雨だ。足元にやかんがある。
持って来たお茶のセットと、バラけて頂いたところと。
台湾菓子は、あまり甘くなかったそう。
中国菓子は超甘くて苦手だけど。
おばさんが超スピードでお茶の指南をしてくれたと。
「悲情城市のトニーレオンと、韓国映画」。
香港映画に夢中になった時、
レスリーと出てたトニーレオンをついでに観たのが、
「悲情城市」だけどしんどかった。
「悲情城市
日本統治時代の終わりから、中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会が描かれている。公開当時は台湾の戒厳令解除からわずか2年後であり、台湾内で二・二八事件が公に語られることは多くはなかった。
舞台となった九份は、この作品の成功によって台湾でも屈指の観光名所となった。
香港出身のトニー・レオンは台湾語が話せなかったため、聴覚障害者の役(文清)になったといわれる。」
「悲情城市」。
紅い提灯と言うと、
どうしても中国返還後の香港での、
巨大なビルのエントランスにもずらずらあった
デカい赤い提灯を思い出す。
「悲情城市」と「九扮」。
「赤提灯は暗闇を照らし疫病を退治することの象徴だ」として、
コロナ後に新しいのを付け替えたと。
「九份の街並み
日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、
酒家(料理店)などの建物が多数残されている。」
お茶屋さんから見えた半島色々とか。
素晴らしい景色だ。
こういう風景をお茶を飲みながらって、
なかなか日本では見つけにくいかも。
この半島たちみたいだ。
高層マンションの外壁にエアコンの室外機が。
落ちるとこれはちょとこわい。
ベランダも格子や網柵がいっぱい。
香港映画でも玄関は格子の柵がハマってたな~。
着物の収納に「樟脳」にはお世話になった。
その樟脳の造り方か。
樟脳がクスノキだったなんて知らなかった。
「台湾の樟脳
台湾において樟樹栽培による製材や製脳は、清代台湾の重要な山林産業の一つであり、当初は主に生薬や防腐剤に使われたが、19世紀にセルロイド(人工象牙)の発見により、工業原料として台湾の独占的商品として、世界の注目を集めるようになった。
1858年6月の天津条約によって台南・安平港や基隆港が、欧州列強に開港される前には、イギリス商人らが、清国官吏と結託して台湾島内で産出される樟脳を輸出し、巨額の利益を得ていた。
1895年(明治28年)の下関条約に基づいて、台湾が清朝から日本に割譲され、日本による台湾統治が開始されると、日本政府は樟脳に関する外国商人の独占的地位を駆逐することを目論んだ。
1908年(明治41年)に総督府が、その販売方法を変更して直営として、三井物産に委託販売させたことにより、初めて樟脳商権は日本資本家に帰することになった。」
「おいでなすって、ニャ!」。
片足前に出していて、ホントにそう見える!
二人で海外は初めてで、ご飯食べながら爆笑中!?
彼女は先週は上海出張から帰って来たとこで。
猛烈過ぎるビルだ。
高度成長期の前の日本みたいな。
TVの台湾旅はものすごく綺麗なビルばかりだけど。
「九份から台北へ」。
鉄道のホームがまた戦後の日本みたいな!?
台湾的なのかヘッドシートが。
「奇福扁食(南門寧波店)で雲吞ランチ」。
雲吞スープに雲吞麺と大好きらしい。
すぐ来て便利なウーバーばかり利用したらしい。
その車内の窓から見えた「中正紀念堂」と。
瓦が紺色なのが珍しい。
「中正紀念堂(ちゅうせいきねんどう)
中華民国の台北市中正区に位置する施設。
初代総統である蔣介石の顕彰施設である。
中国の伝統的な宮殿陵墓式が採用されている。
なお中正紀念堂の「中正」とは、蔣介石の本名(諱・いみな)であり、「介石」は字(あざな)である」。
チェンクンは「蒋介石の息子」を演じたと
前にも書いたけど。
「晴美氷菓室」は有名なんだとか。
「マンゴーかき氷」。
なんかマンゴーが凄いことになってる。
右は「無糖の豆花(トウファ)」でと。
なんかロケーションもいい。
帰りの機内食はおいしそう。
台風を追っかけて飛行機が飛んだみたいな状態で、
追い越して、まだはるか遠くに台風はいても、
東京は猛烈な大雨で、羽田に降りられず、
伊豆半島の南で旋回してたそう。
同じ向きに回るから、下の娘は酔ってしまったと。
ワタシなら即アウト!
帰って来られるか心配したから、
とにかく、羽田に降りられて、
無事だったのでホッとしたのだ。
羽田が光って待ってたように見える。
上の娘が買った蓋碗がすばらしくステキ。
「覇王別姫」の時のあんな大碗ではないけれど、
今までのでは大きい方だということで、
羨ましいぞと。
頼んだのは、阿里山の高山凍頂烏龍茶と、
大好きな金萱茶だけだったのに、
色んなお土産がいっぱい。
「金萱茶
台湾で品種改良によって生まれた第一世代の品種。
12番目の改良成功ということで「台茶十二號」の別名。
金萱茶の最大の特徴は、バニラエッセンスのような乳香。
もともと茶葉の特性ではあるが、この香りを引き出すべく、発酵度や焙煎方法をとった
濃香型の烏龍茶。
製茶方法を台湾を中心に、中国には聞香杯という香りをかぐための杯があるが、普通の杯でも淹れたての香りを楽しねる。」
ヌガーのネギクラッカーとサンドパイナップルケーキは、
どちらも甘さ控えめで美味だった。
幸せを感じる「金萱茶」と凍頂烏龍茶の飲み比べとクラッカー。
二人の話と写真とで、
記事にしてたらすっかり自分が行ったみたい!?
もう行かなくてもよか~。あはは。
チェンクンの料理はなんだろうか!
これは雲吞だーーー!
映画やドラマやモデルやインタビューとは違う、
チェンクンだね~。
笑顔がステキ。ぶふふ。