【感動の実話!人生の最期に「まじめの殻」を破った女性大】 | ココのアセンション日記

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【感動の実話!人生の最期に「まじめの殻」を破った女性大】


ずっと人のために生きてきた

やってられない! 


──末期がんを患う六十代女性の木島さんの声は部屋に響き渡りました。


個室なので問題はありませんが、結構な声量です。顔は紅潮し、まなじりは上がっています。

彼女の吐き出したい思いを感じ、私は黙りました。



木島さんの後半生は大変なことだらけでした。

まずは、脳梗塞の後遺症で倒れた義父と、追って認知症になってしまった義母を、ほぼ彼女一人が世話しました。これは十年単位で時間を要しました。


その後、今度は夫が進行がんに倒れました。大腸がんで経過は五年以上に及びました。

ご本人の談によれば、「夫をようやく見送った」とき、今度は実母がひどい認知症になってしまいました。


実母は認知症からの被害妄想が著しく、木島さんが見舞いに行くと、「このドロボウ!」と罵倒しました。


木島さんの胸には怒りの感情が湧き起こります。その怒りの炎に油を注いだのが、実母は遠方に住む木島さんの実妹にはやたらと愛想がよいことでした。


発症前から、実母が何かにつけて頼っていたのは木島さんだったのに、認知症の妄想が手近な人にしばしば向けられることがあるとはいえ、評価は一八〇度コペルニクス的転回。「財産全部あげるわ」と実妹に言う一方で、木島さんをクソミソにこき下ろしたのです。


木島さんのストレスは甚大でした。胃がきりきり痛むのも、ストレスのせいだと信じて疑いませんでした。


ある時、あまりに胃痛がひどいので病院に行くと、信じられないことが起こりました。

なんと彼女はがん、それも進行がんでスキルス胃がんだったのです。



「全然、受け入れられなかったです」

と木島さん。次に湧いてきたのは怒りでした。なぜ、自分が──。


「気がつけば、ずっとずっと人のために生きて来たわけじゃないですか? 義父、義母、夫。婚家に相当尽くしたと思ったら、元気で『あなただけが頼りよ』と言っていた実母に『ドロボウ!』でしょ? やってられませんよ、本当に」


私は言葉を失いました。確かに世の中は理不尽だと感じさせるに十分な話です。


実母の認知症は苛烈で、攻撃的な妄想が向かう先はなぜか木島さんのみです。実妹や近所の人にはニコニコ応対し、「長女にいじめられている」と吹聴するのです。


実妹は木島さんが実母に謝り、誤解を解くべきだと言い出しました。きっとボタンのかけ違いなのだろう、と。


木島さんは母の話を信じていた妹に驚きましたが、グッとこらえて、母の前に座りました。


間髪いれず、またもや「ドロボウ!」と言われてしまいます。木島さんの中で、何かが壊れます。あなただけが頼り、啓子さんのおかげ、お前がすべて──そんな発症前の言葉に支えられてきたのが虚しく感じました。

まるで自分のまじめさが利用されて来たような、そんな激しい怒りが彼女を貫いたのです。


ちょっとの勇気で殻は破れる


彼女は述懐して笑いました。

「あれを言って、スッキリしました」


婚家を何十年単位でお世話をした。何かと頼りにされていた実母にはドロボウ呼ばわりをされる。母を姉任せにしていた妹には自分が悪いようなことを言われる。いじめられているのはこちらなのに近所には「ああ、あのいじめている娘か」とささやかれる。


限界のラインを超え、ひたすらにこらえて来た、木島さんのまじめの殻が粉々になった瞬間でした。



母が「このドロボウ!」といつものように連呼し始めたとき、とうとう木島さんのスイッチが押されました。


うるせぇ、このくそババア! ──予想外の反応に、母親も妹も黙ります。間髪いれず、木島さんは言葉の嵐を叩き込みました。


「いいかげんにしろ、このババア! どんだけ私の世話になったと思ってるんだ、このクソやろう! 妹、妹だあ!? 妹が何をしたんだ、ほら、言ってみろ、ええ? 何をやったんだ、あーん?」


「…………」


「言えねえだろうがよ! ないからだよ。全部私がやって来た。違うか!? 本当にお前ら、いい加減にしろよ!? ドロボウはお前らだ、人の時間、人の人生を盗みやがってこら!?」



いつもはお上品で、声を荒らげることもない木島さんの剣幕に、認知症の母も、妹も、すっかり気圧されました。


木島さんはそれを見まわして、一息つきます。


そして、先生、私は何て言ったと思いますか? ──思い出しながら、木島さんは楽しそうです。


私の前で、木島さんは上品で陽気です。母と妹を罵倒したとは到底思えないほどですが、彼女は涼やかに笑って言いました。


「もう私は十分あなたたちに娘や姉としての役割を果たした。もう自分たちでやってください。私も、重い病気になって自分の人生が大事なんです。もうまじめはやめましたから。玲子、困ったときには相談してもいい。でもあなたが今度はやる番よ。それじゃ」


去り際の手振りまで教えてくれました。


この一件があって実母の認知症は少し改善したそうです。


「啓子はどうしたんだって。母親の記憶が戻ったんじゃないかしら。あんなショック療法がなければ戻らないなんて、わが親ながら仕方ないなって思いますが。その後、妹もちゃんと施設を見つけてくれて、楽しくやっているみたい」


すさまじい剣幕が、母の記憶を揺さぶったのかはわかりませんが、とりあえずは一件落着です。


「先生、私本当に馬鹿だったと思います。我慢して、我慢して、本当は嫌なことを嫌って言えなかった。まじめは止めるべき。自分の人生を生きるならばね」


木島さんはかわいい女の子の写真が入ったフレームを見やりました。お孫さんの瑞香ちゃんです。


「楽しく生きなくちゃね」


その後、木島さんは退院し、孫娘さんとも充実した時間を過ごし、息子さんと娘さんに見守られながら、十分にまじめだった人生を閉じられました。


まじめはいけないよ──あの声が今も聞こえてきそうです。まじめすぎる人には聞かせてあげたいと夢想しました。



大津秀一


内科専門研修後、日本最年少のホスピス医(当時)として京都市左京区の日本バプテスト病院ホスピスに勤務したのち2008年5月より東京都世田谷区の有床診療所に勤務し、入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない終末期医療の実践を行う。現在は、東邦大学大森病院緩和ケアセンターに勤務。多数の終末期患者の診療に携わる一方、著述・講演活動を通じて緩和医療や死生観の問題等について広く一般に問いかけを続けている 。




※しあわせになるレシピより