私の身長は159㌢くらい。
って事は日頃、地面から159㌢くらいにあるものを中心に私の視界は広がっているわけで・・・
ふとした時に上を向いたり、下を向いたりしてみると、思いがけず素敵なモノが目に入ってくることもしばしば。
学校からの帰り道、もう1年弱毎日のように同じ道を歩いてるけど、季節の移り変わりを体の五感全てを使って感じることは、感受性、洞察力を高める一つの方法だって気付かされた、こんなふとしたとこにある花、植物たち。
私は自然のものが持っている様々な「色」に興味がある。
見方一つ、光の当たり具合一つで、色んな様に変化する。
私たちと何一つ変わりない「生き物」だと再確認するとき。
目線を下げること。
世の中には、上を見上げることしかできないモノがたくさんいる。
それは立場が弱い者、子供、そしてあまり存在に気付かれることすらなく一生懸命頑張っているモノ達。
それと同時に、目線を下げることができる能力を持ってして、まだ上しか見ようとしないモノ達もいる。
たまには目線を下げる。それは誰もができることではない。
決して驕った意味で言っているわけでもない。
自分がどんな立場にいようと、視野を広げること、目線を上げることのできないモノに合わせて自分から下げることによって、自分にとって、相手にとって、世界はどれだけ広がるだろうか。
多くの人が日頃見失っているもの、省みてもみないこと、上ばかり見過ぎると、首が痛くなりますよ。
そして何より常に等身大の自分でいることを忘れてはならないのです。
Aya
って事は日頃、地面から159㌢くらいにあるものを中心に私の視界は広がっているわけで・・・
ふとした時に上を向いたり、下を向いたりしてみると、思いがけず素敵なモノが目に入ってくることもしばしば。
学校からの帰り道、もう1年弱毎日のように同じ道を歩いてるけど、季節の移り変わりを体の五感全てを使って感じることは、感受性、洞察力を高める一つの方法だって気付かされた、こんなふとしたとこにある花、植物たち。
私は自然のものが持っている様々な「色」に興味がある。
見方一つ、光の当たり具合一つで、色んな様に変化する。
私たちと何一つ変わりない「生き物」だと再確認するとき。
目線を下げること。
世の中には、上を見上げることしかできないモノがたくさんいる。
それは立場が弱い者、子供、そしてあまり存在に気付かれることすらなく一生懸命頑張っているモノ達。
それと同時に、目線を下げることができる能力を持ってして、まだ上しか見ようとしないモノ達もいる。
たまには目線を下げる。それは誰もができることではない。
決して驕った意味で言っているわけでもない。
自分がどんな立場にいようと、視野を広げること、目線を上げることのできないモノに合わせて自分から下げることによって、自分にとって、相手にとって、世界はどれだけ広がるだろうか。
多くの人が日頃見失っているもの、省みてもみないこと、上ばかり見過ぎると、首が痛くなりますよ。
そして何より常に等身大の自分でいることを忘れてはならないのです。
Aya

