楽しいこと
心地よいこと
安心する場所
子どもたちはよくわかっている
1年担任をした時に、ADHDと自閉スペクトラムで、音が苦手な子がいた。
音楽の時間は大嫌い。
みんなが歌っているCDのコードを抜いたり、教室を走り回って自分が出したい時に出したい音を出していた。
その子が、卒業式に全校で歌う歌(嵐の「ふるさと」の合唱版)を初めて聞いたとき、ピタッと動きを止めて歌詞を見ながら聞いていた。
「なんかいい歌だな」
と言った。
自分の席にはつけないけれど、拡大した歌詞の前で、一生懸命歌った。
お兄ちゃんがいる子だった。見るもの聞くことが、みんなよりも少し大人だった彼にとって
教科書の
「めだかの学校」や「きらきらぼし」は子どもじみていて、興味がなかったのだろう。
そう考えると、こんな歌は保育園で散々歌ってるだろうし、
わざわざいい姿勢で歌うなんて、面倒くさいと思っていたのだろうな。
そして、他の大半の子はおとなしく歌っていたけれど、表には出さないだけでもしかしたら数人は面倒とか思っていたかもしれない。
「きらきらひかる おそらのほしよ」より
「巡り逢いたい人がそこにいる
優しさ広げて待っている」の方が一年生の琴線に触れる。
他の子も一生懸命歌っていた。歌詞の意味がどこまでわかっているのかはわからないけど、心地よく歌っていた。
もう7歳だもんね。きらきらぼしって、3歳くらいから歌ったりするもんね。
大人は1年生を少し子ども扱いしすぎていないか、とも思った。
教室を移動する時、ペアで手を繋いで移動する。教員から見れば管理はしやすい。きまりよく、素早く、安全に移動するためには効率がいい。すぐ人数が数えられるし、遅れる子が出にくい。
でも、幼稚園、保育園では1番お兄さん、お姉さんだった子たちが、小学生になって、枠の中でとても子ども扱いされることが多いなと思う。(保育園の先生も言っておられた。)
きっと、そんなに管理しようとしなくても、いいのではないか。
こちらの管理の枠を超えてもっといろんなことができるのではないか。
枠をはみ出す子は、そんなことに気づかせてくれる。
もちろん集団生活をする以上、社会に適応していく大人を育てる以上
決まりを守ることも大切だ。
自制心とか判断力とか。
そこは育てていく必要はある。
でも、なくてもいい決まりで子どもを縛ったり、
大人の価値観で子どもの感性をつぶしたりしていることも多いと思うのだ。
大人の常識を押し付けるのではなく、
子どもが何を見てどう感じているのかを大切にしていきたいと思う。
