わたしは、察して行動することが苦手だ。
なぜなら、とても疲れるから。
でも、察してしまう。これは、もうしょうがない。
わたしは、外側のいろんなことに気が散漫しやすいタイプだ。
相手が放ったなにかを、わたしの高感度センサーは拾うから。
それは、ポジティブも、ネガティブも。
だから、ネガティブな気を発している人といるだけでとても疲れる。
いつからなのか。
自分の中にインストールしてしまった、
“察して行動することにより、自分の存在価値を証明する”という謎のソフト(価値観)。
これによって、さらに。
さらに、さらに、自分自身を疲れさせていくのである。
当たり前である。察するだけても、疲れるのに、さらに行動までしていたのだから。
自分を生きた心地がしない時間を私はどれくらい過ごしていたことか。
しばらくの間、そのソフト使ってたいたような気がする。
しかも、その“察した”ことが違っていたり、その先の行動がだれかの迷惑になったり。
それによって、自分の存在を否定されたと謎の解釈で、わたしは謎に勝手に悲しくなって、勝手に絶望して、勝手に怒っていたのである。
(今ならわかる。これ、少し距離置きたいやばいやつ。とか言いながら、今もその傾向が、完全になくなったわけじゃないと思う。笑)
ーーだから、勝手に行動をするのをできるだけやめた。ーー
わたしが察したこと、わたしの行動は、あなたに必要ですか?
察してしまうものは、しょうがない。
自分の無価値感からではなく、相手に対する貢献欲から自分が動きたくなったとき、相手にそれを確認する。
断られても、大丈夫。
自己価値とは関係ない。
そう。いま、また新しいソフトを再インストールさせている。
“生きてるだけで、十分にわたしは価値がある”
こんなソフト。
そしたら、おんなじソフトを持った人たちが現れた。
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人と人が触れ合ってできる擦り傷よりも、伝えたいことを伝えないでいるうちに、知らぬ間にできていく人間同士の「溝」のほうがよっぽど深い。「あの時、なぜ、ひと言でもいい本心を伝えなかったんだろう?」
「伝えるほうが、ずっといい。」
by 山田ズーニーさん
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