相変わらず「可愛いボキュ」に勤しんでおります。
車の中でラジオから流れる曲にハッとしてボリュームを上げたり、
テレビCMのBGMに耳を持って行かれたりして、
「これなんて曲?!」と必死になる感じが好き。
昔々は、ディスコ(!)のフロアでこういうことが多々あって、
その都度DJに訊ねて、CDや時にはLP(!)を入手して、
テープ(!)に好きな曲だけエンドレスで録音して聴いてましたよ。
テープ(! もうええか)のA面にもB面にも、同じ曲ひとつをひたすら入れて。
しつこい性格。
飽きるまではそればっかり。
で、現在はスタレビの「世界はいつも夜明け前」ばっかり聴いてるわけです。
先日、ラジオでちらっと聴いて「これは!」と気になったものの、
ちょうどその番組のラストの曲だったみたいで、誰のなんてタイトルの曲か確認できず。
が、しかし、こういう時はセンサーが超敏感になるもので、
全然違うところから曲名が判明したわけで。即CD購入。
「気になる!」→行動
ここんとこの瞬発力は、自分でも自信ある。
去年はこのパターンでサチモスにハマって聴きまくったなぁ。
ライブに3回申し込んで全部外れて、ちょっと熱も冷めたけれども今も好き。
私のように、自分というものがよくわからんと思ってる人は、
こんなふうに自分の心が無意識のうちに動いてしまう事柄をチェックして、
それを積み重ねていくと、なんとなく「ほぉ~なるほどね」と思えるかもしれません。
「好き」や「嫌い」に瞬間的に心が動くとき、多分そこに自分の何か大事なものが
反応してるってことだから。
「瞬間的に」ってのが大事なんだけど。
時間かけてうだうだ考えると、外側からの影響が流れ込みがちだから。
「人の目」とか「見栄」とかそんなものが。
段々、年齢を重ねるごとにいい感じに図々しくなってきて、
若い頃に比べれば全然周りの評価が気にならなくなってきた。
もっと言うと、カッコつけなくなってきた。
「こういう曲を好きと言うとオシャレと思われるに違いない」または、
「このアーチストを好きって言うのはちょっとダサいかな」みたいなのがなくなった。
人の評価を気にしなくなると、玉ねぎの皮をむくみたいに、
「カッコつけのポーズ」が剥がれていって、
自分のホントの気持ちが表れてくるみたい。
そこで露わになった自分がたとえどんなにダサくても、
「だから何? 文句ある?」って開き直れるのがオバはんになることのメリット。
だから私は、どんどんオバはんになっていくのがイヤじゃないんですよ。
若い頃よりうんと生きやすくなってる気がして。
