私の可愛い小次郎が本日あちらへ旅立ちました。
ほとんど誰も見てないこっちにちらっと今の心情をメモ書きしておこうと思います。
猫ってホントに「もういい」と決めた後はあっちへ逝くのが早いね。
コジもほんの10日前までは朝も私のベッドに飛び乗ってご飯の催促に来てたのに。
コジは18歳と7カ月
腎臓病と糖尿病があった。数値はかなり悪かった。
私は普段なるべく猫を病院に連れて行きたくない派なので、コジが昨秋てんかんの発作を起こして病院に行ったときにその「最悪の一歩手前」の数値を知った。
今回、覚書として書いておきたいことは、猫が去る準備をしてる時のサインについて
私は前回6年前に愛猫を見送った時、ものすごく後悔があった。
だから「次のとき」はなるべく猫が出すサインを見逃さず、枯れるように自然に逝かせてやりたいと強く思ってた。
枯れるように逝かせてやるためには、
無理な治療をしない
無理に食べさせない
むやみに構わない(抱くとか暖めるとか)
このあたりが大事と学んでいた。
難しかったのは、「強制給餌をやめるタイミング」だった。
食べさせなければ確実に死に近づく。
今ここで強制給餌をやめることは猫を死に向かわせること。
そう思うとなかなか決断できない。
今回私がそれをやめると決めたのは、コジが口に力を入れて開けようとせず、横からシリンジで入れても飲み込まずに垂らしたり吐いたりしたとき。
ちょっと渋々でもそこまで口に力を入れず飲み込みもしてたときは、コジにまだ「その気がある」んやな、と思っていた。
だからもうここ数日すっかり身体がやせ細って弱弱しくなっているにも関わらず、頑なに口に力を入れて受け付けない様子に「わかったよ」となった。
ちょっとでも長く一緒に居たい、は飼い主のエゴ。
本当に愛があるなら、なるべく枯れるように苦しまないように逝くのをサポートすること、と自分に言い聞かせてたので。
それは出来たんじゃないかなぁと思っている。
コジは最後まで穏やかだった。
うつろではあったけど苦しそうには見えなかった。
最後の二日ぐらいは目を開けたまま放心状態な時間が長かった。
抱き上げたりすると時々ハッとして我に返るように目力が宿る瞬間があった。
多分、その瞬間以外はもうあっちへ行ってたんじゃないかと思っていた。
最後も呑気に買い物に出たり、戻ってから部屋の掃除を始めた飼い主を待って、綺麗になった部屋で寛ぎ始めてからわかりやすくサインを出して私たち夫婦にちゃんと看取らせてくれた。
生き物は全て必ずいつか死ぬ、という前提の下で考えるなら、コジの一生も逝き方もなかなか良かったんじゃないかな、と私は思えている。
だから物理的にもう触れたり交流したりすることがないと思えば喪失感で泣けてくるけど、後悔はないし本当に心からありがとうと言って送り出せる。
その状態に持っていくだけの心の準備を、何度かのアップダウンがあったここ半年でさせてくれていたのもまたありがとうと思う。
賢くて優しくて可愛い小次郎。
どのみち私もそのうちいくから、また一緒にすごそうね。
うちのコになってくれてありがとう。愛させてくれて、愛をくれてありがとう。ずっと大好き。




