夫が口にしたことは、未来のことだった。

今回、染色体異常が見つかって諦めた後のこと。その後、子どもはどうするかということだった。

私はこの答えはすぐに出た。もちろん諦めない。夫は、さらに続ける。

「でもだらだらとはやらないで。ある程度ゴールを決めよう。」

確かにそうだ。私たちはもう若くはない。5つ上の夫にとっては、さらにそう感じるところがあるだろう。私たちは私が40歳まで(今は37材歳)は三人目(今の子を二人目として考えています。)を、諦めないという、結論を出した。



これからのことも含めて、夫と二人で短い時間ではあったもののきちんと話をすることで、少しずつ決心がついてきた。
いや、本当は自分の中で結論はだいぶ前についていたのかもしれない。先生から伝えられた絶望の事実で、ある程度方向性は決めていたのかもしれない。

たしかに先生からは、何年も生きている人がいるということも聞いてはいた。でも、私たち夫婦にとって、いや、私たち家族にとって、産んで何年間か分からないけれど、共に生きていくことが良いことなのかと思う部分があった。人それぞれ幸せの形は違う。私たち家族にとっての幸せの形とはなんだか違うように夫も私も考えていたのかもしれない。


ただ、一つ引っ掛かるのは、21トリソミーだったら、というところだ。夫は、21トリソミーでも諦めるという結論だが、私は生きられるなら、生きていてくれるならと、ある意味矛盾する考えを持っていたことも事実。そこがやはり、母親だからなのかもしれない。日々、お腹を蹴っている赤ちゃんの命を感じてしまうから、どうしても潔く諦められないのだ。また、職業柄、障害を持った子や親と接する機会が多く、ダウン症の子ともたくさんふれあってきた。身近に彼らの存在を知っているが故にそう考えてしまうところもあるのかもしれない。


トリソミーでもどのトリソミーかが分かるのはもう少し先だ。それまでにもう少し考えることができると私は思い、結論を出した。


染色体異常が見つかったら、今回は諦める。


もう後戻りはできない、そんな気がして、怖くなった。