〜はいどうさんの徒然日記〜 -2ページ目

〜はいどうさんの徒然日記〜

お芝居のこと、舞台のこと、日常のこと、自分のこと、思いつくままに書き綴ります。

ねこの日だから、いっぱいにゃんあげとくね


実家で飼ってた野良にゃん。

うちで飼ってたにゃんが外で作った子たち。

ちょっと前に出入りしてた、野良にゃん。
おうちに入った初日(笑)。

おうちに入りたいときは、リビングの窓をノックするにゃん。

出たいときは玄関の扉をテシテシ叩くにゃん。

お膝で寝るまでに、そんな時間が掛からなかった。

サバトラとかキジトラが好きです。

お裁縫の邪魔するにゃん。

肉球と手の先と鼻の頭と額と耳が好き。

にゃんに埋もれて暮らしたい。


夜中にせっせとお菓子作り🍫

カラフルクッキー🍪 別名、パリピクッキー。

ブラウニー🍫

はいどうのブラウニーは絶品ですグラサン

オレオ(もどき)マフィン チョコカップケーキ
なかなかうまくできたにやり

チョコプリンプリン

ガトーショコラ🍫
美味しすぎてビックリした(笑)。

生チョコ🍫
純ココアでコーティング。

せっかくたくさん作ったので、今年はバレンタインカード(写真)を作って、知り合いにばらまこうと思います❗️



滅私奉公精神の持ち主ではないと思うのだけど、割と無償やボランティア精神で人に何かをやってしまいがち。

これやったら負担減るだろうな、とか思って人の仕事もやってしまいがち。

面倒みちゃいがち。

もちろん、見返りを求めてはいないし、それを強要されるのは絶対に受け入れない。

嫌々やってるわけじゃないし、出来ないことはやらないから、そんなに負担でもない。

自分がそういうタイプだから、他の人も同じように考えてしまうけど、皆わりと、当たり前だけどシビアに、割り切って生きてるんだなぁと思う。

だから人に何かを頼むとき、何かをやってくれるときは気を付けなきゃと思う。

私にとっては当たり前でも、人にとっては違うから。

基本的に“お金を稼ぐ”(自分の利になる)ことをするのが苦手なんだと思う。

お金を稼ぐ思考回路が巡っていない気がする。

自分の利よりも人の為、が好きだったり、考えたり、やってしまいがち。

安価な公演チケット、おもてなしなどなどもその一端なんだろうと思う。

でもそんなことじゃ、当たり前だけど生きて(生活して)いけないし。

お金がないと人の為もなにもないし。

っていうところで、自分の精神的なところと、実質の生活を考えなければならないところのバランスが取れなくてしんどい時がある。

昔から尼さんになりたい、と思っていたのはそういう俗世と離れたい(人間関係の煩わしさもあるけど)という気持ちが大きかったんだろうなと思う。

とりあえず今の目標は、起業して(動物関連、人間相手の仕事はもう嫌(笑))、そこで得た収入で劇団を潤わせて(安価で質の良いものを提供する)、保護猫活動したい。
猫保護、里親会、猫カフェ経営して、猫守りたい。

コロナ騒動が収まったら、笠原寺で尼さん修行するんだ。

穏やかに生きたい。
顔合わせ、からの今日は稽古。

稽古二日目にして8割方台詞が入っているはいどうさんは、自分にしては優秀なほうだと思います(笑)。

去年の7月に3年振りに舞台立って、今年の2月と今回。

一年で出演3本、AsH3本。
バランス良いね🎶

やっぱ楽しいね、お芝居するのは。

うん、楽しい。

当たり前だけど、製作側とはまったく違う楽しさ。

プレッシャーはあるんですけどね。

灰衣堂と羽衣堂。

名義は違うから、自分としては違う感覚でやっているけど、周りから見たらやっぱり同じ人間で。

一個団体で、作・演出やってるから、生半可な芝居はできないし。

まあ、生半可な芝居するつもりはないけど。

“羽衣堂”のスタンスは「役者は演出家の駒。役者は作品のピース。」です。

演出家の望む姿を体現すること。
思い描く作品を表現する一部になること。

自我は必要ないのです。

それが出来ることが自分が呼ばれた意味だと思うし、自分としても楽しいのです。

“灰衣堂”のときはそんなこと言わないですよ。

言ったら「役者を駒扱いして!」とか言われちゃうから(笑)。

役者のときと演出のときのスタンスは別物。

作品にちなんだ史跡巡りや登場人物のお墓詣りができるのは、やはり歴史物をやるときの醍醐味。

はいどうも、吉原遊女を演ったときは吉原に、寧々さん(秀吉北政所)を演ったときは豊国神社や高台寺に行きました

AsH始めてからは、いろんな場所や人を扱っているわりに全然行けてなくて…。

幕末編は京都と会津。
戦国編は土佐、越後、大坂、島原。
平安編は下総、京都、平泉、鎌倉。
新戦国編は薩摩、関ヶ原。

この先、どの時代の、どの国に行くかわからないけれど、できれば全部ちゃんと行ってみたいなと思っています。

まずは今年の関ヶ原の戦いの日(旧暦)に合わせて、関ヶ原ツアーをやりたい予定。

霊感…というか、何かしら感じる力があればいいのにな、って思う。

そうしたらそこで散って逝った人たちの想いや記憶を鮮明に共有できるのに、って。

あなたは何を想って戦ったの?
あなたは何を想って散ったの?
あなたは何を想って生きたの?

聞いてみたいし、感じてみたい。