mochiの線維筋痛症&うつ病のブログ

mochiの線維筋痛症&うつ病のブログ

35歳で線維筋痛症を発症しました。一度は寛解しましたが、再発しました。発症から21年目となります。鬱や不眠症、その他眼科等の病気持ちです。又、ASDその他発達障害もあります。

私は線維筋痛症(発症時は3~4年ほぼ寝たきり状態でした。21年目の今は、ほぼ両足首までの痛みがある程度です。)とうつ病と不眠症があります。
他にも眼科や耳鼻科等々の病気もあり、ASDとその他発達障害もあります。
ASD等の発達障害以外は病院やクリニックに通い、薬をもらったり、経過をみてもらっています。

きっかけは、6/3 にふらんが右足を軽くケガしたようだということからだった。


右足がダラリと、気づいたら垂れ下がるようになっていて、時間が経つにつれ少しずつ動くようにはなるものの、

翌朝からは、又、毎朝ダラリと必ずなってしまう。


初めに気づいたのは、6/3の夕方。

翌木曜日は、休診日。


慌てて、6/5、自分の精神科受診の予約を取り消し、

エキゾチックアニマルを診てくれる動物病院へ行った。


その翌日も私だけ相談に行ったのだが、

一日目は早く着きすぎ、

二日目は予約時間のいき違いで、私は45分待たされたのだが、


それを、

「私が勝手に早く着て、早く診て貰うのを狙っている」

と職員達に誤解されてしまった。

二日間とも。


そして、問題の診察も、説明不足で(小鳥はあまり詳しくない様だ)、不安だらけで帰る事が続いた。



まず、メンタルが崩れたのはそれがきっかけだった。


幸い、ふらんの右足は大きなケガではなく、経過観察で、

やっと最近、しっかり治ってきたので幸いだったが、


問題は、「鬱」。




気づいたら2週間以上入浴できていなかった。

食欲もなくなっていった。

夜も就寝時間がだんだん後ろにずれていた。


ヘルパーさんは、食事の買い物をしてくれる人だけに来てもらい、

その時は、頭だけ洗って、その日はきちんと着替えて、

どうにかごまかしていた。


水曜の、最近ずっとお掃除を頼んでいるヘルパーさんは2週キャンセルした。



通院も、白内障の点眼薬がもう無くなるのに、

眼科も、

アレルギー性鼻炎&副鼻腔炎の為の耳鼻咽喉科も、

大事な精神科も、

どこも行けていなかった。


精神科は6/16にどうにか予約が入ったのだが、

抗うつ薬は、前の増量失敗時の残りがあるのみ。

他の薬も寄せ集めの余りがあり、ギリギリ間に合う数がやっと揃った。 


抗うつ薬は、ホントに残りはあと1錠しかなくて、

日にちがもっと後ろに予約がズレていたらアウトだった。


毎週木曜日に来る、6/11の訪問看護師が来た時は、もう隠す力はなかった。




鬱の落ち込みの大きな理由は、


「4月に入ったリハビリ施設を、私がケガさせられたのに、心身共に辛く、追い出されるように、私が悪いかのように扱われ、何も反論もできずやめてしまった、というかやめさせられた」事。





私は、4月からのこのリハビリにものすごくかけていた。


リハビリで、2年間で前のように歩けるようにして、


人生最後の「地元への帰省」を、

強い気持ちを持って、目標としていたからだ。


私には、地元に会いたい人が二人いる。


一人は、高校時代、保健室登校をしていた私を受け止めて下さってくれた養護教諭。


0歳児の娘を、その先生に見せる為だけに帰省したりしていた。


私の高校の保健室は、高校の正門から一番近い所にあり、建物の一番端にあった為、とても入りやすかった。


仕事をこちらで始めてからは、帰れなくなってしまったが、

それでも、年賀状、暑中お見舞い、クリスマスカード等、もう何十年も送り続けて来た。


その先生は、73歳なのだが、数年前に脳出血という大病をされて、

大変なリハビリをされ、やっと日常生活を普通に過ごせるようになったところだ。


その先生が少しでも若いうちに会いたい。


もう一人、会いたい方は、高校時代の部活の1年上の先輩(女性)。


先輩とも、地元に帰省した時は会ったり、

反対に、東京に来てもらった事もあった。


そのあとは、養護教諭の先生同様、手紙、ハガキのやり取りを多くしていた。


でも、お父様を引き取り介護するようにいつの間にかなっていて、

手紙の返事が返ってこなくなっていた。


とうとう昨年、その先輩からは年賀状仕舞いをいただいてしまった。


先輩は、お母様を早くに亡くされ、

お父様との関係は、成人してからあまり良くない所までは知っていた。


先輩にはお兄さんが一人いるが、そのお兄さんは横浜暮らしで、

先輩がお父様を介護するのが当然だと考えている、と何回かグチがあった事を覚えている。


私の(一応)両親という立場の人々は、もういない。


姉2人とも縁が切れているようなものだ。


つまり、私が帰る理由は、

「そのお二人に会う為だけ」なのだ。


リハビリ施設をやめただけでなく、

身体の痛みは一時的な物ではなく、

線維筋痛症の痛みが結局ひどくなり、フェントステープ(医療用麻薬)を先月から使用する事となってしまった。


今、真っ只中の梅雨や台風時は、どうなるんだ!と不安は大きい。


本当は、派遣でも仕事をしたかったが、それはムリかもと、

最近やっとリアルな現実を見られるようになった。


私は今年57歳になる。


ここで、体力を取り戻さないと、

仕事や地元に帰るどころか、早く寝たきりの人生が始まってしまうかもしれない。


線維筋痛症の痛みが強くなり、フェントスも増えるかもしれない。




50代のうちなら、まだ間に合う。

そう思って、「今度こそ!!」という強い気持ちで望んだリハビリだった。

なのに。


5/4のケガから、ケガに関する痛みだけで1ヶ月間潰され、


6月からは、線維筋痛症が悪化し、更にメンタルまでやられてしまった。


秋頃には、両眼の白内障の手術が予定されている。


7月から新しいリハビリ先を探したとしても、秋頃の手術で、リハビリは一旦中止されるだろう。


例年なら、冬は毎年寝込んでいる。


今年は、線維筋痛症の専門医の元に行けたから違うかもしれないと小さな希望を持ってはいるが、

それでも、真冬にリハビリに通えるのか?


それより、リハビリ先は見つかるのか?


「鬱が大きく落ちる」のが癖のようになってはしまわないか?


私の心には不安ばかり。


こちらには、友人もいない。


保育園時代のママ友一人とは、その方には娘さんがいるから、気まずくて離れてしまったし、

残りのもう一人のママ友とも、つい最近ちょっとあり、離れたばかりだ。


昔はボランティアを一緒にした人たちや、太極拳を一緒にやらせていだいたた方々ともお付き合いがあったが、


なにせ、私が歩けないのでお付き合いも続かなくなった。


先生に会いたい。先輩に会いたい。

仕事したい。


共に暮らし始めたキンカチョウも、必ず先にいなくなる。


それよりやっぱり一番怖いのは、線維筋痛症の事。


どこまでコントロールできるのだろう。


今後、フェントステープのミリ数が、また増えていく事になるのか?


とにかく、不安、不安、不安。


とりあえず、一応の平静さは保っているが、


とにかく、今後の予定が白紙になった事のショックが大きすぎて、


そして、これからが怖い。