日常に學びはある。

日本にいても
アメリカにいても
アフリカにいても
そこに必ずあるものは
日常。

そして
その日常には
必ず
自分がいる。

なんの職に就いていても
必ず僕がいて
そこには必ず日々の日常がある。


その一日一日の日常、
一瞬一瞬の日常の積み重ねが
僕の人生になる。



日常の中で
何処かの街を誰かと二人で歩いたとする。

同じ時間に同じ街を歩いて
歩き終わった時に
その街の感想を述べ合ったとしよう。

僕は
『流行を取り入れていてとてもお洒落な街だね』
と言う。

もう一人は
『伝統を感じる街。古き良き日本を思った』
と言った。

僕は
流行という時代の最先端に触れたいわば近代的な街
という感想を持った。

方や
伝統という時代の過去に触れたいわばクラシックな街
という感想を持った。

僕等は同じ街を並んで同時に歩いているのに
どうして真逆の感想になるのか。

それは
街を歩く時、
僕は行き交う人々のファッションを意識していた。ファッションにアンテナを張って世界を捉えていた。

もう一人は、その街の街並みを意識していた。主に建築物にアンテナを張って世界を捉えていたのだ。

僕等二人の視界に入ってきていた光景は同じだったとする。
つまり、視覚的情報に差異は無かったとすれば、
この感想の違いを与えたものは
各人の意識
であり、
アンテナを張る方向
になる。

其々の感想に
是非はなく、
論理的正否もない。

ここから學んだ事は
各人にとって
世界の見え方は違い
人の数だけ眞実があるという事。


同じ時に同じ街を誰かと歩くという
よくあるような日常にも
やはり學びはあった。

そしてその時
必ず僕がいるという事実。


日常を通して自分を知る過程。
これが人生だと思う。

僕自身を知る事が
結局は
他者も世界も知り得る事になる。

だから
僕は今日も、
今この瞬間も
懸命に日常を生きるのみ。

その積み重ねが
僕の人生。🌳




➖日常が人生で
日常にしか學びは無く
そこに必ず在る僕を思えば
僕を知り尽くしたいと思います🚀➖

by史朗