僕は半生の中で
特に結婚について深く考えた事が無かった
と思いました。

なんとなくの
ぼや〜っとしたイメージで
憧れてみたり、嫌悪してみたり。

少し結婚について調べると
幸せな結婚生活には
どうしたって
相手との対話が不可欠だと
ありました。

こちらを受けて僕の対話する時を思い出すと
異性に関わらず
どんな相手でも僕の対話では
傾聴していなかったな、と。

相手の話の内容や相手の表情や雰囲気などを
見聞きしていながらも
それらに対する僕自身の感情的反応や僕の私見
に注目していました。

まだそれなら良い方ですが、
YouTubeを観る時などは
適当に聞き流す感じで
傾聴していない自分をも
想起しましたよね。
適当に聞き流しているので
僕自身の反応や私見にさえも
注意がいっていない状態です。

これは
僕自身が精神的な自立が出來ていない事
が原因ではないか、と思います。
僕が自立した人間だったなら
相手も自立した人間として
敬意を払ってその方のお話を傾聴していた
と思うのです。

ふと
【自分婚】
という前に聞いた事あるワードが浮かびました。

相手との対話も勿論だが
僕に限っては
自分との対話すら出來ていないな、と。

自分婚を考えると
自分との対話が出來ていない事。
自分の氣持ちや思い、思考を傾聴していない自分。
つまり
自分を知らない。
自分を本氣で知ろうとしない。
自分を理解しようと努めていない。
これは
自分を愛していない事と同義
と思いましたね。

自分を知らないと
結局
心の奥底から湧き起こる
眞の感謝の念
が持てない。
或いは
眞の感謝の念
をそもそも知らない状態のまま
今まで生きてきたのかもしれない。

自分を知っているからこそ
自分に足りないものや
自分ではどうにも出來ない事も解り
少なくとも
そういったものがもたらされた時に
表面的な言葉やマナーとしての感謝では無い
眞の感謝の念を抱けるのではないでしょうか。

その眞の感謝の念を知らなければ
何を引き寄せれば良いか、
奇跡を引き寄せようにもわからない、
のかなと。
そしてそれは
自分を知らない事
に起因している。

自分を知ろうとしていく過程で
自分を少しずつ理解しながら愛していき、
自身に対しても敬意を持つ。
その中で
眞の感謝の念を覺え、奇跡も知って、
自分が欲するものがはっきりとした輪郭を持った状態で分かり、
引き寄せもでき得る。

願うにしても
自分を知る事から始まる。

その意味で
自分婚
の試み中です💍