➖日常を樂しむ事への前段階として➖

僕は飲み会やカラオケなどの
樂しむ場、無礼講の場がとても苦手です。
ついでに恋愛も😂

何故、樂しめないか?
を思いながら僕なりに氣付いた事を記します。

僕の氣付きとして
挙げられるのは

飲み会で樂しむ人への
嫉妬
カラオケで樂しんでいる人への
嫉妬
恋愛を樂しんでいる人達への
嫉妬
があるな、と。

物理的に距離のある有名人や偉人には
尊敬を抱き易いのに、
こと身近な人が
日常レベルで樂しんでいる場合には
尊敬どころか軽蔑さえしている自分。

その尊敬と軽蔑という
優劣のジャッジには
日常を樂しむ人への僕の嫉妬がある。

そこには
僕が人生を樂めない事の劣等感
があり、
自分に対して
樂めない事で
いわゆる普通の一般人より
劣っている
というレッテルを貼っている事から
僕から見ると優位に見える樂しむ人に比べ
僕は劣っている
というレッテルを貼り付けていますね。

自己否定の念、コンプレックスにより、
僕は樂しむ人を
心の中で強烈に蔑めなければ
自分を保てなかったんです。

生存本能に
肉体的な生存本能があるように、
心や精神にも生存本能があり、
その心や精神の部分で
自己否定により
僕の人間としての心や精神の生存が脅かされる
という危機を感じて
樂しむ人を羨ましく思う氣持ちを封じ(蓋をして)
他者を心の中だけで攻撃して(蔑んで)
自分の身を守っていたのですよね。

それ程までの事をしないと
僕自身が生きていけない程の
強い劣等感、コンプレックスだったのですね。

樂しむ人達が
僕に何かの実害を与えているような
事実はないので、
僕の心や精神の部分で勝手に(自動的に)行われた
本能的な部分での防衛反応なんです。

この仕組みに先ずは氣付いて
自分を理解しないと
先に進めないのかな、と。

樂しむ前の
前段階として。

前夜祭的な🥳


➖パーティーはこれからだ🤩🎉➖
by史朗