【お天道様は見ている】
という言葉がありますね。
このお天道様とは?
僕の回答は
【自分自身】
と思っています😌
自分自身は、
常に、四六時中、ありのままを見続けています。
その視線は、物理的な眼差しだけによらず、
自身の心の中も、
自身の魂の中も、
自身の躰の中も、
自身に関わる人の事も、
自身が関わる世の中も、
全てをあまねく見ています。
そんな広い視野の“お天道様“を
欺く事などできましょうか。
自身の心に嘘はないか。
自身の魂に偽りはないか。
自身の躰に誤魔化しはないか。
いつもいつでも見続けている“その存在“は
全てをお見通しなのですよね☺️
僕にとって自分自身とは愛と同義なので、
お天道様とは愛ともいえます。
眞の愛に
嘘・偽りも誤魔化しも無いように
眞の自身に
嘘・偽りも誤魔化しも通用しません。
“お天道様“はお見通し🥰
その眼差しは、
【見守り】で、
天罰をくだすこともありません。
その見守る、
見守り続けるという愛は
慈悲そのものだと思います。
そんな慈悲を
どうして無下にできましょう。
ここまでの文面で
愛の循環が起きていることはお気付きですか☺️
愛が枯渇することが無い理由です。
【愛は永遠】の意味に少し触れた気がします。