何年ぶりの更新でしょうか
ふと思い出しました
過去のブログは、詩みたいなのをいきなりつぶやいたり面白いなぁ
わたしも30のいい大人になりました
2年半付き合った彼氏とちょうど別れたところ
また分岐点に立たされていますね
会社は、少々バカキャラで、上にも下にも自我をだして、いい環境にある職場だとおもう
後輩も伸びのびとしているし、でもやはりあまりにもわからない子はちょっと悩むところはある
さて本題に戻ると
母型のおばあちゃんが今年11月に亡くなったことだ
結集した兄弟3名
いろんな話が飛び交った
母親は、おばあちゃんと過ごした日々はほぼなく、むしろ虐待をうけていたとのこと
私もきいたことあるけど 「あつい味噌汁を頭からかけられた」とかってゆってたかな
兄弟話のときに、母親が、弟と、そのおばあちゃんとたまたま住んでいたころ
どうやら弟の記憶によると、私の母をゴミ箱にぶっこんでいたおばあちゃんだったという
本当に最低な人間だ
私は、こんな家系の宿業を背負いながら生まれてきたのかと思った
あまり関わり合いなかったが、義理という感情で動いて お通夜に参加した気分であった
私も母や妹からいろいろな仕打ちをされてきたと思ってはいるが
ゴミ箱はさすがに…と引いてしまった それに私の仕打ちなんて小さなもんかておもった
いや それでも人間としてどうかとおもいますがね
親の兄弟も、父親がちがって3人いるとかで ほんと複雑な家庭
最後に一緒に暮らしていた 兄弟の中の末っ子は、お母さんのつらい過去はしらずに
お母さんが場にでるようにと、何度も何度も説得するも、母親も、いや、一緒にくらしてないし回想とかできない
の一点張り
そりゃそうだ
母親の頬を兄弟がさわっていっても、私の母だけは触ろうともしなかった
どんな感情なのだろう
わたしは母親が少々、心配になった おばあちゃんが憎かった
へんな感情が沸いた
雑念でしょうか
そしていろいろ経て
火葬前のとき、一番末っ子の兄弟が、どう?おばあちゃんにいうことある?
私の妹「…」
あやちゃんは?「… おかあさんを産んでくれてありがとう」
本当は言いたいことある 憎いことを90%踏まえたうえでの ありがとう である
人によっては、感謝のそこしか伝わってないとおもうだろうが この言葉にはもっと重みがある
わたしは泣いた
よくわからないけど泣いた
究極は、おばあちゃん、わたしのお母さんを産んでくれた そして私が産まれた
根源は おばあちゃん あなたなのであると
来世では、絶対に人を大切にしてほしい
いかなるときでも、人として 生きてほしい
私はそんな思いを抱えながら お別れをした
母親も、そのときだけ 泣いた
泣かせてしまったのかな
まあ
とにかく人の死は いろいろ考えさせられるものだ
憎い人には触れたくもないものだ
いくら血がつながっていても みんな他人なのだ
大事にする
人を大事にする
これは、心と心の戦いなんでしょうか
どうして 人って 大事にできないんでしょうか
どんな思いで 仕打ちをするのでしょうか
一種の病気でしょうか 妬み 嫉妬 なのでしょうか
私にはわかりません
ああ、どうか どんな気持ちで そういうことができるのか 教えてください
来世は 人間で