※新生児死した娘の記録です。
私が退院する前、娘の主治医から説明がありました。
「腎臓の数値がどんどん悪くなっている。このまま悪くなれば覚悟してください。一緒に何をしたいかを考えてください」とのことでした。この先はもう娘自身に頑張ってもらうしかないとのこと。
退院前、娘に会って帰りました。
変わらず眠ってました。
産科に戻り、荷物を持って帰ろうとすると、看護師さんに「おめでとうございます!」と言われ見送られました。
覚悟しろと言われた後の、形ばかりの「おめでとう」。もう涙も出ませんでした。
退院した日、久しぶりの家に安堵するとともに、次、家に帰ってくるときはもっと大きくなったお腹でと思っていたので、ぺったんこなのに一人。
私の母親が世話しにくると言っていましたが、私一人なのに?
断りました。
一人でいても辛いけど、誰といても辛い。
変に励まされるのも辛い。
頑張っているのは娘で私じゃない。
翌日、主人も後ろ髪を引かれるように仕事に行きました。
出産がこんな早いものになるとは思わず、仕事の調整が終わっていないこと、主人が1番忙しい時期が4月ということが重なったためです。
主人が出勤して、ずっと泣き続けました。
娘が帰ってくるときの準備をしなきゃとは思えない胸にざわざわしたものが占拠していました。
昼間にNICUに電話したら、娘の容態に変わりないとのこと。
つまり、娘は辛いままです。
夕方、主人が帰ってきて娘の面会に行きました。
主人が「指を握ってくれるようになった!」と喜んでいました。
そうか、娘が指を握るのは私だけだったのか!とまた涙が出ました。
守ってあげられるのも私だけだったのに
主治医の先生からこの日も話がありました。
「どこまで頑張らせるか考える時期にきています」と言われました。
最期をもし迎える場合、家族が来るまで人工蘇生をするかどうかを聞かれました。
主人がその時は静かに逝かせてあげてほしいと返答。
娘はむくみで産まれた時の倍以上の大きさになってました。