変動が続き、入院もしたし、安静にするために保育園にはほとんど登園しなかった。
1ヶ月に3日とかしか行けず。

毎日、8時に主人が出勤した後は3人ですごした。

息子は協力的で、娘が泣いたらよくあやしてくれたし、洗濯物をたたんだりゴミを捨てに行ったりと、よく手伝ってくれた。

そして、娘が寝ている時には息子の療育に力を入れた。


難聴だと聞き間違いがとても多い。
息子のように高い周波数の聴力が落ちると、あいうえおの母音は聞き取れても、子音が聞き取りにくいそう。

そのために
「りんご」は「いんお」
みたいに聴こえる。

「なわとび」を「なわそび」
「体重計」を「かいじゅうけい」だと思っていた息子。

そんな風に子音は間違えて覚えていることが多い。

なので、難聴者に話しかける時には、

顔を見て
ゆっくり
はっきり
大きめの声で話す

そんなことを意識する。

背を向けて話すと口の動きが頼りにならず、聴こえにくい。
早口でボソボソ話すと発音を聴き分けにくい。
聴力は補聴器をつけていても健聴者より低いので、小さい声はもちろん聴こえにくい。

家庭での療育はとにかく静かな環境の中で、言葉と文字を結びつけていった。

聴力が落ちて聴こえなくなった場合、手話は教えていないため話す手段がなくなるので、ひらがなの読み書きは積極的に教えていき、年中の間にマスターした。

新しい言葉や聞き間違えていそうな発音の違う言葉は紙にひらがなを書いて教えた。

健聴者は聞き流していても自然と言葉を覚えていく。
にぎやかな場所でも聴きたいものを自然と脳が聴こうとし、聴き分けられる。
難聴者は一生懸命聴こうとしても言葉を覚えにくい。
にぎやかだと音が混ざって耳に届くため聴き分けることも難しい。
語彙も増えにくい。

難聴のことを勉強するために講座やリハビリテーションセンターの保護者会などあちこちに行った。
難聴の方のお話を聞ける場にも行った。
同じ病気の人の変動や進行していく様子をまとめた論文も読んだ。


私にできること

通院に付き添う
薬を飲ませる
療育に力を入れる
難聴の知識をつける

治すことができないもどかしさを紛らわせるためにできることをとにかくやるしかなかった。

もちろん常に全力でがんばることはできないので、子どもと思いっきり遊んだり、趣味の裁縫で気分転換もした。

何事もバランス。
私が元気でないと子どもたちにどうしてあげることもできないので!