2022.11/6
タシグナ休薬20日目
明日から新しい抗がん剤の治療が始まる
今度は、副作用が少ないと言われてる新薬だからきっと大丈夫だと思うけど…
治療がはじまる前に今日はようやく中学からの親友3人と会うことができた。
中高時代の思い出は親友以外に何も思い出せない。それくらい一緒にいた。
みんな個性があって、当たり前だけど考え方も全然違って、一緒にいて本当楽しかった。
当時わたしはほとんど学校に行ってなくて、
たまに学校に行った日は帰りにマックやファミレス、駅で何時間も喋ったり、
池袋でプリクラをハシゴをしたり、
休みの日もしょっちゅう集まって遊んでた。
思い出して急に懐かしくなった☺️
それなりの進学校で一人だけ髪染めてピアスして、学校に顔出すのは本当たまの数時間。
たくさんの人に迷惑かけて、今じゃ、ほんと何やってたんだろって当時の自分を殴ってやりたくなるけど…
そんなんじゃ学校では当然周囲から浮くわけで、色んな噂が流れてたみたいだけど、学校にいる時は居づらい空気を感じたことは一度もなかった。
それは親友がいてくれたからってことに気付いたのは大人になってからだった。
エスカレーターで高校に上がって、当時、進級がかかった試験のたびに、とっくのとうについて行けなくなった勉強を教えにわざわざ1時間もかけて家まで来てくれたりもした。
かばんひとつ分たまった学校のプリントを全部持って。
わたしの家庭環境を気にして『あやの避難所 いつでもおいで』って、家の住所と最寄りの駅、電話番号を書いた紙を渡してくれたこともあった。
学校に行かない日がどんなに続いても、その日にあった学校での出来事を毎日メールしてくれて、最後にはいつも『学校おいで、待ってるよ』って言ってくれた。
散々迷惑かけてきたのに、見放されたことは一度もなかった。
たまに学校に顔出すと、
「まじで学校来ないで何してんの、あや来ないと暇なんだよ」って言ってくれたのに、
本当何してたんだろ…
なんでもっと大事なものに気づかなかったのかな
高校を無事に卒業できたのは当時の担任の先生と、間違いなく親友の存在が大きかった。
当時から支えられっぱなしだ。
気付いたらみんな社会人になって、わたしは東京を離れて和歌山で就職して、それでも一年に一回はわたしの帰省のタイミングに合わせて必ず集まった。
話す内容も、いつしか学校の話から仕事の話に変わって、みんなでお酒飲むようになって、結婚してママになった子もいて、なんだかすごく感慨深い…☺️
今日もたくさん喋って、たくさん笑って、本当に楽しい時間だった。
みんな大人になったはずなのに、4人集まったらバカやってたあの頃に戻ったみたいに、しょうもない話でいつまでも笑っていられる。
中学の頃から毎年必ず4人で行くのが恒例のディズニー🎈
今年はわたし行けないかもしれないな…
情けないけど、休薬中でも元気だった頃みたいに動けない。
すぐに疲れて多分迷惑かける。
みんなで行きたい
すごく行きたいけど…
「あやがもし行けるのが数時間なら数時間でもいいじゃん。疲れたらそのたんびに休んだらいいし。アトラクションだって乗らなくたって、みんなでご飯食べて、こうやって話すだけでもいいじゃん!」
「あやが行けそうなら、今年もみんなで行こう。ディズニーが無理だったら、今日みたいにみんなでご飯行こうよ!」
心の底から嬉しくて涙出そうになった…。
「あやなら絶対大丈夫だから!一緒に乗り越えよ!たくさん頑張ったら楽しいことも倍楽しいよ!」
ありがとう。
中学の頃から、変わらず支えてくれて。
みんなでディズニーに行くことが一番近い目標になった。
5年後も10年後も30年後も50年後もこうやってみんなで笑っていたい。
みんなの幸せをそばでお祝いしたい。
恩返ししないと死ねない。
長生きしないとな!!