「神様はバチを当てるんですよね?」
というご質問をいただいたことがあります。
「天知る、地知る、人知る、我知る」
「天網恢恢疎にして漏らさず」
悪いことをした人には、
それ相応の報いがあってしかるべき。
でなきゃやっていられない!
・・・ですよね(笑)
けれど、私が、光の存在さんたちと
いつもコミュニケートしているcaoさんに、
神さまがバチを当てるか訊いた時、
教えてもらった答えは、
「当てません」
でした(笑)
なぜなら、
「神さま=光の存在さんたち」というのは、
人がやることは「どんなこと」であっても、
「よく経験した!」
と喜びこそすれ、
ジャッジすることはないそうなのです。
善悪の価値観で人を裁くのは人間であって、
神さまではないのですね。
考えて見れば、「善悪」というのは、
とても主観的なものです。
例えば江戸時代とかで、
藩士である父親が、
上役に罪を着せられて殺されたので、
息子が仇討ちをしたとします。
けれど父親の仇を取った息子は善であるのか。
殺された上司が藩のためにやったとしたら、
藩にとっては上司のほうが善ではないのか。
そんな感じで、善悪というのは
とても曖昧なんですよね。
だから、「バチが当たった」というのは、
本人や人の思い次第なんです。
やましいことをやった人に、
良からぬことが起こったら、
本人や周りの人は「天罰だ」と思うかもしれません。
けれど、「たまたま」かもしれないんですね。
もしくは「やましいことをしたからバチが当たるかも」
と思っていたその気持ちが「引き寄せた」のかもしれません。
また、良からぬことが立て続けに起こって、
「神さまは私に意地悪だ」
と思うことがあるかもしれません。
けれどこれも、神さまが意地悪をしているわけではなく、
「自分は意地悪をされている」
と思っているから「引き寄せた」かもしれないんですね。
・・・それを知ってから、
私はいつも
「神さまは私に甘々だ!」
と思っています(笑)
だから、がんになったときも、
「チョーシに乗っていた罰」
とか思ったことはないです(笑)
なぜなら、「そのおかげで色々経験できた」
「思ったよりも苦しくなかった」
と、良いことをいくつも挙げられるからです。
また先日は、足が痛くなって、
数日足を引きずり、寝ても座っても痛く、
トイレで腰掛けるのも涙目、
ということがありました💦
それが起こったとき、
「この前、良いことがありすぎたから、その見返り?」
と一瞬思いましたが(笑)、
歩けない期間、人と会う予定が入っていなかったので、
誰の迷惑にもならなかったのを思うと、
私を苦しめるものではなく、
必要なことだったんだなと納得できるんですね。
そんなわけで・・・
神さまはバチを当てません!
ただ、自分が負い目を感じることをしていると、
それが自分に還ってくることはあるでしょう。
「自分が胸を張って、納得できる生き方」
をするのが一番です!(^_-)-☆