中学生のとき、テレビでBLuckのことを知りました。
メンバーの名前も顔も覚えるまでいかなくて、けどエキスタ出てたなー、とか、メンバー1人が未成年だからお酒飲めてなかったなー、とか、色々覚えてる。。
高校に入学して函館に住み始めてすぐの2008年4月、初めて生でパフォーマンスをみることができました。
この時はハナタバのリリースイベントで、CD買ってサインしてもらって、五稜郭タワーにも登って、大ちゃんと広ちゃんのファンになりました。
毎日のようにCD聞いて、レギュラー番組は毎週欠かさずに見て…とゆう日々を過ごしてた7月。
彼らは活動を休止しました。
まだ1回しか会ったことないのにBLuckがいない日々はツラくて寂しくて、けど好きな気持ちは薄れるどころか増していって、この頃、本当の意味でファンになれた気がします。
約半年の活動休止を経て1月にまたB☆Luckに会えて、ウッキーと初めまして。この頃が大ちゃん好きのピークだったかなー。。
初めて『遠征』ってものを経験したのもこの時。3月の進化ライブ💡
5月に野球見るために札幌行ったとき、ついでに大ちゃんのソロライブとワンダーランドに参戦して、moleの中をうろちょろしてたみっちゃんと、ちょっとだけ話せたんだよね、確か。
良い人だなー、みっちゃんのファンは幸せそうだなー、って思った記憶ある。
6月には北海道完全制覇の旅。
砂原で初めてみっちゃんに自己紹介して名前知ってもらったんだけど、
私「『あ』から始まる名前です」
み「あー、、み?あー、、や?」
私「あたり!『や』です!」
み「あーやか💡」
って会話が、「あーや」とゆうニックネームの由来です😏
(そしてわたしはナゾに「大輔」呼びを始める)←黒歴史ww
自己紹介してからすぐ名前覚えてくれて、全員交流いく度に名前呼んでくれて、気づいたら大ちゃんの次に好きになってました。単純。笑
厚沢部で交流したときに、半分冗談で「次のライブでファンサください!」って言ったら、その後の青年センターでホントにファンサしてくれて、記憶力と優しさに感動😂😂
次の日の五稜郭タワーでの自由交流では、大ちゃんはファンが多すぎてなかなか話せなくて、それに比べてみっちゃんは割とちょくちょく話せたから、そーゆう方が推しがいあるな、って思って、でも大ちゃんファンは辞めれなくて、結果、この日を境に『W大輔ファン』になりました。
楽しかった3日間が終わって、この頃から急激に友達も増えて、気づいたら「三田地のあーやちゃん」って呼ばれることが増えてた。
それがとても心地よくて、『みっちゃん推しになろう』って決意できました。
8月、オープンキャンパスのために札幌来てたからB☆のバスツアーのお出迎えしたり、函館の同級生で函☆Luckを結成したり(←今思えばネーミングww)
10月にはまた函館でイベントがあったのと、11月にはZeppと事務所交流会のためにまた遠征。
受験生になるからこれ以降はイベント行かない!と決意した12月、さっそく電話交流企画に申し込んで、決意グラグラww
この頃に、サングラスかけたみっちゃんが受け入れられなくて、三田地のあーや、消滅の危機。ww
4月には講習会のために札幌に滞在してたから、その合間に変化ライブとFC限定ライブ。
あっという間に、三田地のあーや、復活!!単純。笑
函館でもイベントがあって、電話企画にもまた参加して…
思いっきり受験生なのに、ファン友達(函館組)とちょくちょく遊んでた高校3年生の1年間。
この年はやたらと函館に来てくれたから、7月には講習会終わりに厚沢部までイベント見に行って、8月には函館でのイベント会場を探して社長に直談判して、10月のライブも講習会が休みになったから参加して、12月にもライブ行ってバックヤードにまで連れてってもらって…(笑)
2月の入試のあとそのまま2泊3日ツアーに合流。
洞爺に泊まって、南幌でスポーツして、夜はmoleでライブ!
こんな感じで、高校生活はずーっとB☆Luckが中心でした。
毎日の勉強を頑張れたのも、受験を乗り越えられたのも、札幌に住みたいってゆう夢を現実小樽ではあったけど叶えられたのも、全部全部、みっちゃんのことがとっっても好きだったから。
小樽に住んだらもっともっと、みっちゃんに会いに行く!と意気込んでいた3月のある日、ウッキーが卒業を発表し、小樽に引っ越してすぐ、卒業ライブがありました。
このときは、ウッキーの卒業を乗り越えてB☆Luckはもっと大きくなる!ただの通過点!って思ってたし、この日がB☆Luckの最後のステージになるなんて、思いもしなかった。
数日後、B☆LuckはEverZOneという名前に変わると、発表されました。
そして色々と、交流会のありかただとかが一新されました。
それが本当に許せなくて、わたしは距離を置くようになります。
ちょうどMEN☆SOULのライブによく行くようになってて、頭のなかは完全にMEN☆SOUL>EverZOne。
たまに共演することがあればEZOも見る、とか、里帰りついでに函館でイベント見る、っていうレベルになりました。
MEN☆SOULが活動休止してからはHALにハマり、そこでもやっぱり、HALと共演するEZOも見る、てゆう程度の好き具合。
なのに、DAICHIはライブでわたしのこと見つけたら必ずファンサをくれました。
しばらく交流に行かない時期もあったのに、久しぶりに行ったら一言目が必ず「あやちゃん!」で。。
今思えば、その気持ちを裏切り続けてしまって申し訳ない。
わたしはただのファンの1人。
わたしがライブ行かなくなったって大丈夫なくらい、ファンはいる。
なのに。
なのに。
みっちゃんは、こんなわたしのことを忘れずにいてくれました。
それはプライベートで遭遇したときも一緒。
彼にとっては仕事中じゃないからわたしのことムシしたって良いし、ましてやそこでわざわざファンサする必要は無い訳で。
これ、もう時効だから初めて書くけど、MEN☆SOULのライブ終わりにネットカフェで仮眠とろうとしてたとき、みっちゃんも同じネットカフェを利用してました。
廊下でばったり遭遇した。
もう夜の1時とかだったから完全に仕事モードのスイッチ切ってる時間だろうし、こんなところでファンになんて会いたくなかったはず。
けどやっぱり「あやちゃん!」って呼んでくれて、「なんでここにいるの!?」とか、色々お話してくれた。
この頃はEZOの交流はほとんど行ってなかったから、わたしはほぼ『過去の人』。
そんなわたしにわざわざ媚を売る必要はないのに。
みっちゃんは、本当に良い人。
その後、わたしは大学を卒業して、社会人になりました。
もちろん変わらずEZOのイベントには気が向いたら行く程度で、交流には全く出なくなってた。
今思えばきっと、『みっちゃんは居なくならない』ってゆう、変な確信があったから。
いつでも話したいと思ったら会いに行けば良いや、ってゆう安心感。
だから、脱退が発表されたときは、『もっと会いに行けば良かった』ってゆう後悔が最初の感情でした。
卒業が発表されてから、個室交流に行こうかと思ったけど仕事で日程合わなくて、わたしが直接感謝の気持ちを伝えられるチャンスは、イベントの特典会で一瞬話すだけとなりました。
結局わたしが行けたイベントはサイン会じゃなく握手会だけで、本当に一瞬、ありがとう!って言うだけだった。
だから、本人に伝わるかは分からないけれど、このブログに想いをこめます。
みっちゃんと出会ってなかったら、間違いなく、今のわたしはいません。
この感謝は『ありがとう』だけじゃ、とてもじゃないけど足りない。
わたしの大事な青春時代、みっちゃんを好きになって応援できて、本当に幸せだったよ。
今まで、自分のことよりもメンバーのこと、ファンのことを大切に思ってくれてたみっちゃんだから、これからは、自分のことを一番に考えてほしい。
幸せを降り注いでくれてた分、幸せになってほしい。
またいつか、どこかで会えたら、変わらない笑顔を見せてください。
これだけじゃ本当に全然足りないくらいの感謝の気持ち。
みっちゃん、今まで本当に本当にありがとう。
“夢に向かい走りだそうよ
ここが僕のスタート地点”
新しい人生のスタート!
またいつか、どこかで会おうね!
ありがとう!
三田地のあーや