【土曜日の仕事コーデ】
【今日の仕事コーデ】
推薦入試(学科試験)が終わった1週間後、
いよいよ合格発表の日が来ました。
当時ここの音楽高校は、
実技試験と学科試験の合否が同日にそれぞれ別々に発表されました。
両方受かっていればもちろん受験は合格となります。
実技試験は受かって推薦入試は落ちた場合、
3月にある一般入試でもう一度学科試験に挑戦ということになります。
実技試験に落ちてしまったならば推薦入試も自動的に不合格、
そして当然一般入試のチャンスはもうありません。
まずは、実技試験に受かっていることが大事なのです。
実技試験の合否は高校で貼り出され、
母が見に行きました。
携帯電話もメールもまだない時代です。
病室でドキドキしながら母が戻って来るのを待っていました。
結果は合格。
大前提の条件をクリアできました。
推薦入試の合否は中学校に通達されます。
実技試験に合格したからには推薦入試も合格して、
これで終わりたい。
母の報告から間もなくして、
担任の先生が花束を持って病室に来てくださいました。
推薦入試も合格。
私の大変だった受験は無事に合格という形で終焉を迎えました。
殺風景な病室に、
担任の先生から頂いた花束が咲き誇っていました。
入院中は担任の先生や学年主任の先生がほぼ毎日来てくださったし、
日曜日ともなるとクラスの子達はもちろんクラスの垣根も超えて男女問わず電車を使ってお見舞いに来てくれました。
一番多い日で立ち代わり入れ替わりトータル20人も。
転校生という引け目のあった私には嬉しすぎる出来事でした。
私は卒業式の4日前にやっと退院できました。
登校出来たのは卒業式の前日と卒業式の2日間だけになりましたが、
涙涙の卒業式となりました。
高校入学までの春休みは、
ひたすらピアノを弾いて指のリハビリに努めていました。
1か月半もピアノに一切触れずにいた私の指は、
ピアノを弾いてる感覚もないくらいふにゃふにゃしていて全く動かず。
あまりにも情けなくて悲しくて悔しくて泣けてきたり。
取り戻すのに本当に苦労しました。
そして、
高校入学、高校生活…。
あれほど大変な思いをして入った音楽高校だけど、
環境と人間関係に疲れ果てる日々。
このことはもうすでにブログで書いているので割愛します。
そして、
私が入院した日の夜にピアノの部屋で泣いていた母は、
今度は大学受験に向けてあっという間にまた厳しすぎるほど厳しい母に戻りました。
しかし、
音楽高校で伴奏をいっぱいしたことが今のバレエピアノにも役立ち、
伴奏を通じて夫とも知り合い、
夫と結婚したことでドイツでの今の生活があり、
ドイツに来たことでバレエピアニストの仕事にも就けた…。
そう思うと、
音楽高校は私に大きなものを与えてくれたのだと思います。
高校入試から丸25年が経ちました。
受験よりも大変なこと、
そして急性A型肝炎よりも辛いこと、
時にはそれらを抱えながら毎日を送っています。
でも、
今回こそダメだ…と思っても、
いや、あの時みたいにもうちょっとだけ頑張れるんじゃないか…、
そんなふうに思いながら今日もしぶとく生きています。
高校受験シリーズ、
最後まで読んでいただきありがとうございました。