ー 2011年3月11日 14:49 ー
3年前のこの日沢山の尊い命が失われた。
それは誰もが予期せぬ出来事で、
ほんの一瞬で多くの不幸が訪れた…。
一つ一つの命が、
掛け替えのない大切なもので、
その一つ一つの命に、
大切なストーリーがあった…。
私はこの世に性を持って産まれてきて、
こんなに大きな出来事は初めてで、
あの日から3年経った今、
沢山の想いがあって、生きている。
震災後半年が経ち、
募金活動しか出来ていない自分に苛立ち、
市役所に行きボランティアを探した。
次の週休みを頂き、
夜中の高速を5時間程走らせて向かった先は陸前高田市。
まだ夏の暑さが始まったばかりの7月頭。
ボランティアで出来たことはそんな大それた事ではなかった。
仮設住宅に家具・家電をひたすら運ぶ事。
夕方終わり、街の人が車で津波が直撃した辺りを回ってくれた…。
見渡す限り殺風景で、
改札すら見当たらない駅。
押し潰された校舎。
面影すらわからないお店。
義援金何億何千と集まってる筈なのに、
半年経っても変わらない町並み。
沢山の瓦礫と居た堪れない腐敗臭に
私は只々涙が出ました。
半年前はここで、
沢山の人が笑い、
沢山の人が生き、
沢山のストーリーがあったのだと…
それをほんの一瞬という数え様のない短時間で変えてしまった災害。
恐怖と動揺と不安と、
色んな感情が入り混じった。
毎日何気無く過ごしている
''今''という時間、
食べたい時に食べたい物が食べられる。
帰りたい時に帰れる家がある。
会いたい時に会える人がいる。
当たり前にある、
衣・食・住が幸せで、
何気無く生きている''今''が、
本当に貴重な時間なんだと改めて気づかされた。
そして私たちはそれを来世に伝えていかなくてはならない。
最近言われた話。
『もう後20年もすれば、戦争体験者は限りなくゼロに近くなる。
唯一の被爆国である日本の歴史を語れる人間がいなくなる。』と…。
戦争も震災も同じです。
''一瞬''という時間で
沢山の命が失われてると考えると
命の重みがわかりませんが、
''殺人''という事件が
何万件と起こったと聞くと
背筋が凍ると思います。
そうなんです。
命に重いも軽いもないんです。
そこには一つ一つの尊い''命''があって、
その一つ一つの''命''にストーリーがあるんです。
私がそこで感じた事…。
出来る事をしよう!
なんて綺麗事ぢゃなく、
只々毎日一生懸命に生きるんだって。
昨日死んだ人間が、
生きたかった今日だから…。
亡くなった沢山の人達が生きたかった、
''今''だから…。
だから一生懸命生きて、
いつか子供に、
そのまた子供に、
伝えて生きたいと強く思った。
最近よく耳にする。
『最近の若い子は…』
『だからゆとり世代は困る…』
言われていつも思う事だが、
それって今の大人がいけないんぢゃないか?
子供がゆとり世代にしろと言ったのではなく、
ゆとり世代を作ったのは大人だ。
被災地を訪れ更に感じた事は、
ボランティアに来ていた子達が20代前半が大半だったって事。
芸能人が義援金や復興支援をすれば大半取り上げられる。
でも、一般人の若い子達が動いた所で
何の説得力もなく取り上げられる事はない。
『なんとか自分の力で世のために出来ることをやりたい!』
その時、高校で亡くした友人からもらった夢とLINKした…
それが今の仕事と大きく関わってます。
だから、
私の夢はまだまだ終わりません。
多くの人の笑顔を作るために、
多くの人に幸せを与えるために、
今日も一生懸命生きていきます。
最後に感動し、考えさせられた北野武さんのお言葉です。
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東日本大震災の死者は1万人、
もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、
見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。
だけどこの震災を
もしかしたら2万人を超えてしま
テレビや新聞でも、
見出しになるのは死者と行方不明
だけどこの震災を
「2万人が死んだ一つの事件」
と考えると、
被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、
8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。
それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、
そこには
被害者のことをまったく理解でき
じゃあ、
8万人以上が死んだ中国の四川大
そんな風に数字でしか考えられな
それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分
そうじゃなくて、
そこには
「1人が死んだ事件が2万件あった」
ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのは
すごく個人的なものだからね。
被災地のインタビューを見たって、
みんな最初に口をついて出てくるのは
「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、
他人が何万人も死ぬことよりも、
自分の子供や身内が一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。
残酷な言い方をすれば、
自分の大事な人が生きていれば、
10万人死んでも100万人死んでもいい
と思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、
震災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、
それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、
その悲しみに今も耐えてるんだから。
だから、
日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。
その地震の揺れの大きさと被害も相まって、
日本の多くの人たちが
現在進行形で身の危険を感じているわけでね。
その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。
本来「悲しみ」っていうのは
すごく個人的なものだからね。
被災地のインタビューを見たって
みんな最初に口をついて出てくる
「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、
他人が何万人も死ぬことよりも、
自分の子供や身内が一人死ぬこと
残酷な言い方をすれば、
自分の大事な人が生きていれば、
10万人死んでも100万人死ん
と思ってしまうのが人間なんだよ
そう考えれば、
震災被害の本当の「重み」がわか
2万通りの死に、
それぞれ身を引き裂かれる思いを
その悲しみに今も耐えてるんだか
だから、
日本中が重苦しい雰囲気になって
その地震の揺れの大きさと被害も
日本の多くの人たちが
現在進行形で身の危険を感じてい
その悲しみと恐怖の「実感」が全
(北野 武)








