岩手県で生まれた私。
盛岡まで車で2時間半の、
海には近いっちゃ近いけどやっぱり山な町で育ちました。
当時、その地域には保育所1か所、小学校1校、中学校1校。
あ、いや、厳密にいうと
小学校0校、中学校0校、小中学校1校ですね。
お察しの通り、超少子化でした
あ、今もです
1階には職員室や会議室、理科室、図書室などなど。
2階に小学校、3階は中学校と音楽室。
はうぅぅ、、、懐かしい
床がね、ギシギシいうタイプのやつなんですよ。
戸も木だし、各教室にボイラーなるものがありましてね。
触ると大やけどなんで恐ろしいんですよ。
よくみんな無事に育ったなと
そのボイラーの上に、これまた木製の牛乳瓶ケースというんでしょうか、
それを置きまして、4時間目くらいから温めておくんです。
そして給食でホットミルクを頂く、なんてこともありました~
さわやか3組みながら学校の造りに違和感を感じまくっていました
また通いたいです!心から!レトロ度がやばい!!
お察しの通り、その学校は今はもう廃校で中には入れませんが、まだあります!
まだあるのが救いです!
学校の話はいっぱいあるのでまた後でまとめようかな
さて本題です。今です。
保育所の話です。
私の住んでいた地域は
岩手県 K市 H野町
というところだったんですが、
大人になってぴゃ~wwwと思ったんですけど、
私が通ってたその保育所、正式名称を
H野 へき地保育所
といいました
【へき地】・・・・都会から遠く離れた土地。へんぴな土地。
公式に自虐しているよ!
これに気付いた時、ぴゃ~wwwって思いました
まぁ、園長先生は行事の時しか来なかったしな。。。
へき地ですが何か?という強いものも感じつつ、
「ここはへき地だとわかりやすいように名称にへき地付けとこ」的な
市にやられた感もあり
そんな保育所でしたが、それなりに楽しく通っていましたし、
先生も優しくて大好きでした!2人しかいませんでしたが
もちろんここも例に漏れず廃園してます
切ない切ない切ない
いつか同級生に合ったら
「へき地って付いてたのやばくね!?」と言って
笑おうと思います