沖縄のイメージは?と聞かれて、「癒しの島」とか、「基地の島」とか、人それぞれの意見があるとおもいます
でも、一般的に琉球・沖縄の歴史というと、かつては琉球王国という独立国だったこと、アジア各国と交易を行い繁栄したこと、そのために中国的な文化があること、武器のない平和な島だったこと、薩摩に攻められ奴隷のように支配されてたこと、明治になって王国が廃止され沖縄県になったこと、沖縄戦で被害を被ったこと…
こんなイメージがあるとおもいます
では、このイメージは正しいのでしょうか?
また、琉球の歴史の本質は本当に虐げ続けられていただけなのでしょうか?
まず、最初に言っておきますと、戦争の時にアメリカ軍の本土上陸を1日でも伸ばすために、沖縄にアメリカ軍を引き付け持久戦に持ち込んだのは事実です
その結果、沖縄で戦死した日本軍の兵士が約六万六千人、犠牲になった沖縄の一般市民は約九万四千人
そして戦争に負けると、沖縄をアメリカに差し出し、1972年に沖縄が日本に復帰してからも、沖縄がアジアにおけるアメリカ最大の基地であることは動かしようがない事実です
しかし今回の旅では、琉球の長い歴史全てを考察するには、物理的に時間が不足しているので、近代に関しては次の機会にしたいとおもいます
今回は、日本を考えるために、絶対に沖縄には来る必要がありました
何故なら、日本人のルーツである縄文人の文化がアイヌと並び残っているからです
日本は元々が狩猟民族が暮らしている土地でした、そこに農耕民族である弥生人(大和朝廷になる人達)がやって来て、生産能力に勝る弥生人に北と南に追いやられたのが琉球やアイヌの人達です
そういった意味でも今回の旅では、北海道と沖縄はセットで外せなかったのです
そんなわけで沖縄に着いたら、首里城へ直行
すいません…旅日記なのに、奄美にも石垣にも行きません
琉球王国の中心であった首里城は、世界遺産にも選定され、沖縄の観光スポットとして有名ですよね
外観は天守閣がなく、中国の宮殿のような建築様式をしています
その首里城の広福門前には、琉球の貿易立国の理念をうたった「万国律梁の鐘」が掛けられています
この鐘は、元々は首里城の正殿に掛けられていました
鐘は日本のお寺でよく見られる鐘と、全く同じ形をしています
何故、王の住む城にお寺の鐘があるのでしょう?
さらに首里城正殿の一階部分は下庫理(しちゃぐい)、二階部分は大庫理(うふぐい)と呼ばれていました
庫理とは寺院にある建物を表す言葉です
その正殿の二階にある、王の玉座と言われている場所は、寺院で仏像を安直する須弥壇に非常に似ています
そもそもこの場所が本当に王の玉座だったのかは、解らないというのが現状です
(一番可能性が高い学説であるのも事実ですが…)
首里城は本当に城だったのでしょうか?
さて、首里城正殿の前の御庭にある浮道は曲がっています
王の即位式など様々な儀式に仕様されてた浮道が曲がっているのです
個人的には首里森御獄と関係があると推測します
そこは琉球の神が最初に降りた聖地であるとされていますが
そこの神様が「真っ直ぐ」進めない作りになっている訳です
琉球の神様も死者の国にいるのではないでしょうか?
今回は疑問も増えましたが、僕の推測も少し纏まってきました
もちろん、まだまだ材料が足りないので、何度も足を運ばなければなりませんが、それは専業作家になってからするとして…
この記事も長くなってきたので、次で沖縄の美味しいものを食べ、酒を飲んだ鎮魂記事としたいとおもいます