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浅田真央さんは、かねてから、自分が思ったこと、やった方がいいと思い、目標としてきたことに対して、ぶれないで、貫こう!としてきました・・・

 

現役時代は、今と違い、完成度重視で、女子の高難度構成(3A, 4回転)は認めないような、回転不足の減点の高さ、など、で、他の女子選手達は3Aを跳べば損をしそうな採点傾向で、真央さん以外、3Aを跳ぼうとはしなかった・・(ソチ五輪後、真央さん休養時になって、ロシアのエリザベータ・トゥクタミシェワ選手が、3Aを跳んで、そのシーズン、世界選手権で優勝し、世界女王になりましたね)

 

確かに、当時、真央さんは試合で3Aを跳ばないでいた方が、優勝回数は増えていたでしょう。

 

でも、フィギュアスケート はスポーツで、ならば、自分の限界、技術の向上に挑戦し、克服してこそ!

と、必ず、女子にも3Aを含む高難度構成の時代が来る!と、マスコミ、スケ連らから、3A不要論を言われ、批判させても、自分の考えを信じて、シニアに上がり、なんと10年間も試合で3Aを跳び続けました!!

 

 

 

大概、思っていても、人は楽な方、多数派に流されてしまうんだけど・・

 

山田満知子コーチが、今までの教え子の中で、1番信念が強かった・・と、言うだけあります。

 

 

真央リンクに関しても、真央さんは前から、いつか作りたい!と思ってました。

山田コーチも、前に真央さんにリンクを作って欲しいと言ったみたいだけど・・

 

 

 

 

真央リンクを作り、子供達にスケートを!

日本のスケートリンクは維持の問題があり、どんどん数が減り、選手たちは、練習場所を確保するのが難しい状況です。

リンクが自宅から遠いと、親の子供の送り迎えも大変・・レッスン代の他に交通費など、費用も大変だし・・

 

 

真央さん休養後、特に練習場所に苦労した自分の経験も踏まえて、スケートをしたい!という子供たちに良い環境で、スケートをして欲しい!なので、スケートリンクを作りたい!

 

 

真央ならできる!スケートリンク設立信じ新たな挑戦

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「真央リンク」を作りたい-。フィギュアスケーターの浅田真央さん(30)が、スケートリンク設立を目標に掲げた。1日、11月30日に出版された書籍に合わせた会見で「自分のリンクを作りたい」と明かした。子供たちへの環境整備、指導も希望した。9月に30歳を迎え、フィギュアへの恩返しへ、新たな挑戦を始める。 

 

 

 ◇   ◇   ◇ 浅田さんは30歳を迎えた心境を「『30』の『0』なので、ゼロからのスタートだと思ってます」と語る。競技者として数々の記憶、記録を刻んできた20代までとは違う、新たな一歩。それが「スケートリンクを作ること」だった。 

 

浅田 子どもの時からコーチに「いつか真央のリンクを作ったらいい」と言われていたんですけど、なかなかそういう思いにはなれず…。来年から何か自分ができることがあるかなと思った時に、スケートリンクを作りたいという思いを皆さんに伝えて動きだすことで、その夢に向かって進んでいける。日本の子供たちに良い環境で滑ってもらいたい。そこで、アドバイスだったり、少しでも何か皆さんのためになることがあればやっていきたい。 

 

 

17年の引退後、18年5月から全国を巡るアイスショー「サンクスツアー」を始めた。

それはファンに感謝を直接伝えるためだった。そのショーは来春で一区切り。今後は子どもたちのためにも動く。以前からリンクの希望は持っていたが、30歳となり、使命感を実行に移す時が来た。 場所は利便性を考え、都内を中心に関東圏が候補になる。

 

リンクだけでなく、記念品などを飾るミュージアムも併設するプランもある。

構想段階で、これから具体的に動きだしていく。

 

 都内を例にすれば、通年で滑れるリンクは4つ。

しかし、来年の1月末で高田馬場のシチズンプラザが閉鎖されるなど全国的にも減少傾向。国内のフィギュア人気は高く競技者数も増加したが、育成する基盤は減る。

 

育てる場として、必須であるのがリンクになる。

 

 書籍は浅田さんを巡る100の言葉を集めている。「101個目の言葉を選ぶなら」と聞かれると、思案して言った。「『真央ならできる!』ですね」。

 

語り継がれる14年ソチオリンピック(五輪)のフリー、演技直前に客席から飛んだ声だという。「真央ならできる」。

 

それはリンクでも…。自らもそう信じて、動く。【阿部健吾】

 ○…書籍「浅田真央 100の言葉」(扶桑社)は03年から密着取材してきたフジテレビが100の言葉を厳選した書籍で、今回初めて取材に応じた父敏治さんが語る妻匡子さんと真央さんのことなどがつづられている。浅田さんは「私も知らなかったことがたくさん入っていて、特に家族からのメッセージは心に残りました。この本からたくさんの自分にエールをくれた感じがします」と語った。

 

 ◆アスリートと施設 選手、元選手が施設を造った例としては、サッカー元日本代表の本田圭佑が設立に関わった多目的スポーツ施設「ゾゾパーク ホンダフットボール エリア」(千葉県)がある。

選手に因んだ施設名では三重県津市のサオリーナ(レスリング女子の吉田沙保里)、北海道旭川市のスタルヒン球場(プロ野球のスタルヒン)などがあるが設立に関係はなく、後から名前がつけられるケースが主。

 

日刊スポーツ

 

 

 

 

 

 

 

浅田真央、“真央リンク”設立の夢語る「子どもたちに良い環境で滑ってもらいたい」

配信

 

 

 プロフィギュアスケーターの浅田真央(30)が1日、オンラインで書籍『浅田真央 100の言葉』(フジテレビ スポーツ局・編/扶桑社)の取材に応じ、30歳の節目を迎えた抱負として「またゼロからのスタート。5歳から25年間、選手として戦った思いは忘れてはいけないし、その強い心を持って過ごしていけたら」と決意を新たにした。 

 

同書では、2003年から密着取材してきたフジテレビの膨大なアーカイブから、浅田が発した100の言葉を厳選。幼少時から現在までの写真とともに、波乱万丈の人生とスケートへの想いを、自身の「言葉」と歴代ディレクターの回想から詳細に振り返る。  

「この本は、私のスケート人生すべてが詰まった本になりました」と確かな手応えをにじませた浅田は「写真もたくさん入っているので、子どもから大人になるまでの成長を感じることができました。私も知らなかったことがたくさん入っていましたね。特に家族からのメッセージは心に残りました。あと『私、こんなこと言ってたんだ』という言葉もあり、思い出すことができましたし、この本から自分自身へのエールをもらいました」と笑顔を浮かべた。 

 

 また、かねてより都内のスケートリンク不足を危惧し“真央リンク”の設立を目標に掲げていることも話題に。「子どもの頃からコーチに『いつか真央のリンクを作ったらいい』と言われていました。自分がスケートリンクを作りたいという思いを皆さんに伝えて動き出すことで、その夢に向かって進んでいる。日本の子どもたちに良い環境で滑ってもらいたいという思いは強くあります」と熱弁すると「そこでアドバイスだったり、少しでも皆さんのためになることがあれば、やっていきたい」と言葉に力を込めていた。

 

 

 
 
 
 

 

元は、もっとスケ連が主体になって、スケートリンクの確保に動いていればいいのに・・

 

 

 

 

 

高橋大輔さんもかつて、臨海スケートセンターのリンクが閉鎖しそうになった時に、募金活動をして、存続を訴え、その結果、改修工事を経て、スケートリンクの維持が決まりました・・

(スポーツ)存続危機を救った高橋大輔 再起とともに古巣も復活

 

 

大輔さんも前から興味があり、やりたいなぁ・・とも思っていたアイスダンス競技に進みました!

アイスダンスはシングルと違い、ペアを組む相手との相性があったり、スケート靴も違うし、筋肉の付け方も違うので、トレーニングをしたり、シングル競技に長く活躍した大輔さんにとっては慣れない事ばかりで、当初(今もかも)大変だった事でしょう。

村元哉中さんと組んで、1年経ってないのに、NHK杯では美しい演技を見せてくれました!

リフトも難しいリフトにチャレンジしたし!

その努力はすごいけど、それを感じさせない、そして、チャレンジにワクワクするようなキラキラした瞳で、頑張る大輔さんもぶれない人で、凄いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

真央リンクを作る道筋、スケートリンクの維持は大変でしょう。

でも、困難なことでも、スケート愛に満ちた真央さんは、やる!と前を向き、動き出そうとしてます!

あとは、大人の権力争い、真央さんの活躍が未だ面白くない、などで、真央さんの足を引っ張る輩が出てこないように!