にほんブログ村 その他スポーツブログ スケート・フィギュアスケートへ
にほんブログ村

ブロ友さんからの情報で、先日引退発表した小塚祟彦さんの単独インタビューを紹介させてもらいます!


何気に深い言葉もありますし・・・



小塚崇彦、単独インタビュー
引退発表後に語った「氷上を去る」理由
スポーツナビ2016年3月28日(月) 11:00


 また1人、偉大なスケーターがリンクを去る。小塚崇彦(トヨタ自動車)が3月15日、今季限りで現役引退することを発表した。ここ数年はケガに苦しんでいたこともあり、27歳という年齢を考えれば、予測できないことではなかった。しかし、今後は所属先のトヨタ自動車で「社業に専念する」という決断は多くのファンを驚かせた。アイスショーにも4月17日の『スターズ・オン・アイス』東京公演以外、出演する予定はないという。






現役引退を発表した小塚が「氷上を去る」理由を語ってくれた

 2010年のバンクーバー五輪に出場(8位入賞)。翌年の世界選手権では銀メダルを獲得し、全日本選手権では1回の優勝を含め、計7度も表彰台に上がった。滑らかで美しいスケーティングは世界でもトップクラスの評価を受けるなど、日本男子のフィギュアスケート界で一時代を築いた。そんな選手がなぜ完全にリンクから離れる決心を下したのか。その真意を聞いた。
ふと感じるものがあった
――まずは現役生活お疲れ様でした。引退を決断するに至った直接的なきっかけは何だったのでしょうか?

 大きな出来事としては、昨年末の全日本選手権のFS(フリースケーティング)で最後のポーズをとった瞬間に、ふと感じるものがあったんです。そのときに「これが引退するタイミングなんだ」と思い、そこから(佐藤)信夫先生に話をして、(所属先の)トヨタの上司に話をし、全日本に出ていた仲間たちに話をし、そういう流れで少しずつ話をしていったという感じです。




――引退することを伝えたときの先生方の反応は?

 信夫先生、(佐藤)久美子先生、(小林)れい子さんの3人ともちょっと感じていたところがあるのかなと思っていて……。演技直前に靴ひもが取れて、後ろで久美子先生とれい子先生がバタバタと「あと30秒だから早くいかないといけない」と言っていたんですけど、信夫先生だけはやけに落ち着いていたんですよね。点数なんていいから、1点なんかいいからと言っているような。何かを感じていたのか、こんなことでバタバタするのも嫌だし、「崇彦にちゃんと演技をさせたい」という思いがあっての落ち着きだったんじゃないかと僕は思っています。そういう部分は信夫先生の経験だなと思いますし、深いところですよね。







――全日本のFSの前までは、最後の演技になるとは自分では思っていなかったのでしょうか?

 最後かもしれないなとは思っていました。実際にそういうシチュエーションは今までに何回もあったので(苦笑)。「今回が最後かな」と思いながら最近はずっとやってきました。でも終わった瞬間に、本来ならば演技前半で失敗しているし、悔しい感情が出てくるところで、気持ちがシュッと抜けるというかそういう状態になってしまったので、「これが終わるタイミングなんだな」と思ったという感じです。

――引退を決めて、いろいろな言葉をかけられたと思いますが、その中で印象に残っているものはありますか?

 本当にいろいろな人から声をかけてもらいました。みんな「崇彦がいなくなるのは寂しいな」とか、「こんなに心強い先輩がいなくなるのは……」って言ってくれましたね。みんなで作り上げてきたこのスケート界から離れるのはちょっと寂しい気持ちもありますけど、いつかは引退するときが来るので。それは僕の体の面でも、気持ちの面でもやりきったということなのかなと。みんなにそういうふうに思ってもらえるだけでも、幸せなスケート人生だったなと思います。
未練はバク宙をできなかったこと?



――ここ数シーズンはケガもあり、苦しいシーズンだったと思うのですが、練習できないときは何を考え、どう過ごしていたのでしょうか?

 もともと先天性のものなので、ケガなのか病気なのかというのもあるんですけど、そこはもう割り切っていましたね。今そのときにやれることをやるしかないと思っていたので。もちろんリハビリもしましたし、トレーニングもしました。できる範囲で体を動かして、氷に戻ったらすぐにちゃんとできるように、ケアもしながらやっていました。

――「やりきった」とおっしゃっていましたが、未練は全くなかったですか?

(演技中に)バク宙はやりたかったなと思います(笑)。でも、それ以外は本当にないです。

――2年ほど前にお話しを伺ったときは「世界の舞台でもう1度完璧な演技をしたい」とおっしゃっていましたが、それは残念ながらかないませんでした。

 1度だけ2014年の全日本のFSで、これ以上にない演技もできましたし、そういうプログラム(『イオ・チ・サロ』)にも出会えましたからね。確かに世界の舞台ではなかったですけど、全日本であれだけ気持ちのこもったスケートができたので、これ以上欲を出してもしょうがないだろうという思いもあります。
『イオ・チ・サロ』は小塚にとって特別なプログラムだ。14年の全日本選手権では会心の滑りに思わずガッツポーズ



――やはり、あの全日本での演技は思い出に残っているのですね。

 最近で1番良かった試合ですから、そういった意味では鮮明に覚えていますね。

――プログラムへの思い入れも強かったのではないでしょうか?

『イオ・チ・サロ』は、僕をすべてきれいにまとめあげて作ってもらったプログラムなんです。あれは本当に僕にしかできないプログラム。基本的に僕はどのプログラムにも思い入れはあるんですね。ただ、曲がどうとかというわけじゃなく、『イオ・チ・サロ』は僕にしかできないと思えるようなものだったという意味で、特別なプログラムだと思っています。




今後のことについてもお話できる範囲で教えてください。ブログには「氷上を去る」と書いてありました。4月17日のアイスショー後はもう出演することはないのでしょうか?

 今現在は、アイスショーに出演する予定はありません。

――その理由は?

 スケートはやはり毎日滑っていないと良いパフォーマンスを出せないと思うんですよね。仕事をやりながらそれができるかと言うと、僕はそんなことはないと思っています。アイスショーに惰性では出たくないし、今の僕は社業に専念すると決めたので。社業をやりながらアイスショーに出演できるレベルを保てればいいとは思いますが、僕は無理です。なので僕はアイスショーに出ることはないと思います。



――選択肢はいろいろあったと思うのですが、社業に専念するに至った経緯は?



 今までスケーターとして競技をやっていく延長線上で、そのままコーチになられた先生方や、アイスショーに出ている先輩方もいますし、スケート連盟に行った方もいます。その3通りは1つの道として確立されていると思うんですけど、その道は僕が見るに満員な気がしていて……。なのでもう1つの道として、トヨタ自動車という世界的な企業でやっていきたいなというのが大きな理由です。あとは僕がスケートで滑る以上に、そこには僕が勉強できること、学ぶことがあると思っていて、期待して入社するという感じです。

 それに加えて、豊田章男社長の存在も大きいです。すごく現場を大切にされている方で、スケート界で考えると現場イコール選手じゃないですか。その選手を大切にする、現場を大切にされる方で、しかも世界的にあの規模の会社を経営する方のもとでやってみたいと思ったというのもあります。



――性格上、未知の分野に進みたいという思いもあったのでしょうか?



 トヨタという企業で働くことによって、今まで経験したことがもっと深くなるんじゃないかなと思っています。トヨタに行っていち社会人として、スキルを学びながらいろいろなことを知っていく。トヨタの中にもスポーツ選手がたくさんいるので、ほかのスポーツ界からスケート界を1回見てみるのもいいんじゃないかなと。僕はフィギュアスケートしか知らないので、いろいろ感じる部分も出てくるんじゃないかなと思います。もしかしたらスケート界ってすごく良い所なのかなと思うかもしれないですし、こういった部分は改善するところがあるなとか思うかもしれないですし。どう感じるのかはこれからですね。
頭の中からスケートは離れない


――指導者になる気持ちはなかったのですか?

 1つの選択肢ではありました。でも僕の中では、このタイミングではないと思いました。



――いつかスケート界に戻ってくる可能性は?

 スケートは好きなので、頭の中からスケートが離れることはないと思います。ただ、未来は分からないですね。戻ってこないかもしれないし、もしかしたら皆さんが思っているより早く戻ってくるかもしれないですし(笑)。





いつかスケート界に戻ってくる可能性については、現時点では「分からない」という

――先日、JOC(日本オリンピック委員会)のアスリート専門部会というものに参加されていましたよね。そういったところに参加して、新しい発見や刺激を受けることはありましたか?

 アスリート専門部会に参加された方は、本当に自分の意見をしっかり持っていました。毎回の会議に参加されていて、ただ意見を言うだけではなくて人の意見に耳を傾けることができる。傾けることができてなおかつ返すことができる。討論ができる。そういう人たちが集まっていたし、ほかの世界をちょっとずつですが、知ることができました。そういった意味ではいろいろなスポーツの人が集まって、知識を持った人たち、しかもアスリートでやっていた人たちが集まっているというのはすごく興味深かったですね。

――その部会員は続けるとのことでしたが、こういった活動をしてみたいという希望はありますか?

「オリンピック研修会」というのがあるんですね。オリンピアンの人たちが、もっと自分たちが五輪に出たということを誇りに思って、五輪というのはどういうものなのか、そこでどう感じたのか、自分がどういうふうにやってきたのかを広めていこうという会なんです。そういうところにフィギュア、スピードスケート、ショートトラックだけではなく、冬季も夏季も含めていろいろな選手がそこで「自分はこうだった」というのを1つのテーマとして話し合って、自分がオリンピアンだったという誇りを持って社会に出ていける環境を作っていくのが、1つの目標になるのかなと思ってます。あとはアスリートの人たちが少しでもより良い環境でやっていけるように、整備していくなどやっていくことはたくさんあると思っています。

――以前お話しを伺ったとき、「現役を続けるのは新しいチャプター(章)の始まり」とおっしゃっていました。今後はどういうチャプターにしていきたいとお考えですか?

 これからどうなっていくか分からないですけど、なんだかんだ言ってチャプターのタイトルの上にはフィギュアスケートというのがくっついていると思うんですね。フィギュアスケートというものは絶対に僕から離れない。どんなチャプターになるかは僕の頑張り次第で変わってくると思うし、氷からは離れますが、いろいろな面でフィギュアスケートに恩返しできるような、そんなチャプターにしていきたいと思います。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201603260003-spnavi









今のスケート界について、苦言できる数少ない(と、いうか、いないに等しいかな・・・言いにくい環境なんでしょうが・・・)存在の選手だったので、氷上から去る決断をしたのは、貴重な人材を失った痛手の方が大きいような・・・




パトリック・チャン選手と並ぶスケーティングの上手さが際立った選手で、技術は圧巻でした・・・


やりたかったことに、バク宙をあげたのは・・・意味深いというか・・・


スケートが好きなこづですが、ショーに出ないのは、納得できる演技ができないかもしれないから・・という考えには、高いプロ意識を感じました。

まぁ、転んだりするのが多い演技を見せるプロスケーターは、観客は高いお金を払ってショーを見に来るんですから、そこは毎回だとキツいものがありますよねー


4月17日のアイスショーは、ファン達へのお別れも兼ねているのでしょうね・・・


キッパリと潔いところに、こづらしさが表れたというか・・・


トヨタの社員になって、また外からスケート界を見ていくのも違った発見ができるかもしれないし、違うサポートもできるかもしれません。


いつか、スケート界に戻る日が来たとしたら・・・・また、力になってくれる人でしょう。


今はお疲れさまでした!

第二の人生、新しい道、こづならば、頑張ってくれるでしょう!






こづとは、同じコーチで幼なじみでもある浅田真央選手は、今は世界選手権で納得いく演技ができれば!

公式練習の様子、写真などはTwitterで続々とアップされています。
ジャンプは、後から・・・ということで、今は氷の状態に慣れておくことは大事ですから・・・





https://twitter.com/LynnRutherford/status/714491302688210944より