まず始めに、これから書くことは、私の一経験談に過ぎないもの。


適応障害でもうつ病になっても、外に出たいと思ったら出てもいいと思う。 



私が過去に適応障害と診断された時、外に連れ出してくれた恩人がいた。 


その人が外へ出る提案をしてくれたからこそ、私もその足に続いて外に出ることが出来た。

少しでも自分は変わりたいと思ったというのもある。 


その人曰く、私を外に連れ出した方がいいと直感で思ったようだった。 

これは仮定の話だけれど、それがなかったら私はより塞いでいたのだと思う。 


当時の話をすると、

適応障害と診断される前は、

音楽も聞きたくないし、好きだった動画もほとんど観れなくなった。

呼吸をするのも苦しくて、胸が苦しかった。

家では、料理するのが1つ心を落ち着かせた。



話を戻すと、

行き先は恩人が提案してくれた場所。

私は、その前にとある神社へ行きたいと伝えていた。 


その時、外に出る時は足が重く、行くのはやめてもいいかなとふと考えた瞬間があった。 


それでも、行かない選択肢はなかった。 


私が提案した神社は、瀬織津姫の祀る神社だった。 

鳥居をくぐる時、重かった足がまるで糸をほどくようにスッと軽くなったのをよく覚えている。 

それからは

私自身も自身の必要な休息のために 実家へ帰ったり、外を眺めたり、自然の中でボーッとしたりしていた。


ここで伝えたいのは、神社へ行くと軽くなりますよーってことを伝えたいわけではないよ。 

神社の経緯を書いたのは、私はこの一連は全て意味のあるものだと思ったから。


「こうしたい」と何かをしたいと思ったら動いてもいいということ。 



例えば、海を眺めるなど自然に触れたり‥

キャンドルの火を眺めたり‥

その他したいこと、

何かをすることで心が安らぐなら、

癒されるなら、気持ちが少しでも落ち着くならそれをしてもいいんだよ。


それから、寝る前に自分で自分に、「大丈夫だよ。」と優しく声をかけてあげていた。


これは甘えでも、遊びじゃない。

罪悪感は、出るかもしれないけれど。 


でも、それは自分の心からのSOSであり、

軌道修正の兆しなんだと思うよ。 


そして、背中を押してくれる人や手を差し伸べてくれる人がいたら、その人のことを信じることができたら、手を取ってもいいんだよ。


休む必要もある。 


自分の心に正直に生きること。 


焦らなくていいんだよ。 

少しずつでいい、一歩ずつでいいんだよ。 


今動けていなくても、それは自分が一歩立ち止まって休む必要があるからなんだ。 

先のことは、きっと自分が教えてくれる。


すぐには変われないこともあるかもしれない。


でも、その過程でたくさんの学びが出てくる。その過程が大切なんだ。


どうか無理をしないで、自分の心の声を聞いてあげてね。


全ては、大丈夫🫶