人を見ること | ppp

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ないしょ




ここ数日のグループワークが
良い経験すぎて未熟大反省習慣でした。


「人間は、やっぱり、
人間に1番興味がある、ということ。」
というのはコピーライターの一倉宏さんの言葉ですが、
私は生粋のパターナーで、
それでいいと思い込んでいました。
それは欺瞞で、
いつからか

なんだか相手を考えることをしなくなっていたんだと思いました。


こんなことだれにいうつもりもないけど、
転校を繰り返して
人の顔色をずっと見ていた頃は、
本当に相手の感情に合わせて自分を決めていました。
6回も7回も転校すれば、
「仲の良かった子」との別れで泣く事も無くなって、
味気ない色のついたお別れの手紙を読んで形ばかりのさようならをして、
そしたらもうクラスメイトの顔なんて
消去。

わざとじゃないし、意識したつもりもないけど
あの時確かに私は顔を、名前を、意識して消して行ってたと思う。
すぐ次の学校がきて、クラスメイトがくるから。
名前なんて、顔なんて、
そんなもの別れてしまえばなんの意味もなかった。
不特定多数は一人の転校生を忘れなくても、一人が不特定多数は抱えられないもの。
人との繋がりなんてどうでもいいし、
人との繋がりなんて一時的なものだと本当に思ってた。


そしたら中高一貫教育になったばっかりに、急に怖くなってしまった。


短いから楽しいものなのに!



中学生は辛かった気がする、
あれは自分がわからなかったからだといまなら思う。
言葉を交わして、それを、
1年単位で「そういえば」って覚えられているのが辛かった。
何をしてもさようならだったのに、
来年も失敗は消える事無く掘り返された。
私は失敗が多かった。
だから消えずに、そういえば、で指摘される事が怖かったのだったと思う。


人の顔色の話だったっけ。

あの時の事は確かに記憶してるけど、
中学生の時に、
3人グループでお昼を食べていた時期
1人が休んで、
わたしともう1人になったとき、
あのときのお昼ご飯のときに、
きょうは○○ちゃんいないからどうする?って聞かれたときのあの顔から、私は心が透けて見えた
なんと思ったか、なんと言ったかはまるで覚えてないけど
ただ心が透けて見えたことだけを
あのかんかくだけを覚えている。
気まずいね、だったかもしれないし、
嫌だ、だったかもしれない
あのときは超能力のように、
顔色から考えてることまで読めたのに

いつからかやめてしまった
顔色を見るのをやめてしまった


自己防衛だとも思うけど、
それにしては限度があるってもんですよ。



ここまで考えないのは罪だ。


その根拠に、この前同級生の男の子を怒らせてしまったのが印象的でした


ごめんねだよ本当に